大野耐一が考えた「悪さの発見」の基本指導
株式会社RE-Engineering Partners代表/経営コンサルタント
早稲田大学大学院理工学研究科修了。神戸大学非常勤講師。豊田自動織機製作所より企業派遣で米国コロンビア大学大学院コンピューターサイエンス科にて修士号取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。マッキンゼー退職後は、企業側の依頼にもとづき、大手企業の代表取締役、役員、事業・営業責任者として売上V字回復、収益性強化などの企業改革を行う。これまで経営改革に携わったおもな企業に、アオキインターナショナル(現AOKI HD)、ロック・フィールド、日本コカ・コーラ、三城(現三城HD)、ワールド、卑弥呼などがある。2008年8月にRE-Engineering Partnersを設立。成長軌道入れのための企業変革を外部スタッフ、役員として請け負う。戦略構築だけにとどまらず、企業が永続的に発展するための社内の習慣づけ、文化づくりを行い、事業の着実な成長軌道入れまでを行えるのが強み。著書に、『戦略参謀』『経営参謀』『戦略参謀の仕事』(以上、ダイヤモンド社)、『PDCA プロフェッショナル』(東洋経済新報社)、『PDCAマネジメント』(日経文庫)がある。
磯谷 他社の指導をしていると、とにかく基本がやれとらん会社が多い。例えば、工場の運営に関して、大野耐一「悪さ発見」の基本指導には、次の5つある。
物 →置き場所番地白線からのはみ出し
設備→可動灯の赤ランプ停止
人 →あんどん点灯でのすることのおくれ
異常→なぜなぜ5回の追求
確認→宿題の必達
最低でも、このぐらいはやってほしいと思うんだ。
稲田 これらは、工場運営で徹底すべき基本中の基本ですね。
磯谷 こういうこともできておらんからね。置き場所、ところ番地、白線からのはみ出し…。だいたい工場に白線も引いてない会社がいっぱいあるからね。こういう白線を引いて、どこに何が置かれているかがわかるようにしなさいとか。設備だったら可働灯で、赤ランプの停止を見なさいと。だいたいランプについても、メーカー任せになっていてね。ええ加減にやっとるから。大野さんの言うような、この基本のところをやれておらんのに、なんでDXとかITの、横文字の並んだことに大金をかけようとするのか。それも、その必要性を適切に説明できないままにね。
稲田 その通りですね。いま指摘されたことは、ものづくりの領域に限らず、今の日本企業の多くに共通して起きていると思います。
磯谷 あとは、4つめの「なぜなぜ5回の追求」をやる人もほとんどおらん。訪問して宿題を出しておいても、必達しようとやってくれるところも、ほとんどない。こんな基本のところもやれとらんのにね、なんでそんな難しいことがやれると考えるのかと。
稲田 大金を動かせる経営の周りには、常にイリュージョン(幻想)を売りたい輩が徘徊するものです。たとえばですが、古代には、権力者に不老不死の薬と称して水銀を処方して飲ませてしまう医者まがいのまじない師が、千年以上もの間、世界中に存在しました。今の時代の経営者も、日々、効能とその副作用があいまいなバズワードに囲まれて、期待と幻想を伴なった投資をしてしまうリスクと隣り合わせです。経営レベルでは特に、その「方策」が本当に必要なのかの検証が必須なのですが、残念ながら多くの企業では、トップの判断を支える参謀機能が弱いです。変な忖度がまかり通ったりもしますし。ところで、この「なぜなぜ5回」についてですが、問題の真因に行きつく基本動作ではあるものの、これを組織の各階層で実践して役立てるには、ある程度の訓練も必要になるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
磯谷 それはそうかもしれない。しかし、訓練無しでもその「心」を持つだけで、大野さんの他の基本指導で十分、経営の「カイゼン」をやれちゃうところがいっぱいあると思う。
稲田 それはその通りです。また、おっしゃられるように、上手く使えば有効な「方策」に投資しても、結局、ただやったという事実で満足してしまっているケースは良く見かけます。
磯谷 そうそう。「方策」そのものが目的になってしまっとる。それが今の多くの、ITを使った「見える化」なんだよ。「見える化でやりました」と言われて見に行くんだけど、ただ見えるだけでね。肝心の、それを見て手を打つところがおろそかになっている企業が多い。ITを導入しただけで安心しちゃっとる。
稲田 経営側も、「方策」の一つとして今のDXブームに乗り遅れぬようにとITを検討させるのですが、導入しただけで完了した気になってしまうのです。その「方策」、つまりITのしくみを使って、日々、業務の効果、効率を上げて、いわゆる業務精度の向上に取り組むことが、本来の目的です。
しかし性善説に基づいているのか、「丸投げ」をしてしまい、結果、その投資をした事実だけで成功したとの総括になるのです。何と言いますか、昔から悪い意味で使われるような、まさに「役所仕事」になってしまっているのです。