大学進学はゼイタク?
子どもたちの願いは「選択肢をください」

 子どもが成長して大人になるまでの歩みは、困難な障害物レースに例えられる。虐待やネグレクトを受けている子どもたちは、重荷を背負わされた上で、他の子どもたちよりも障害の多いコースを走らされているようなものである。

 家出や施設入所などを子ども自身が望んでも、あまりにも幼すぎると実行は困難だ。実行して成功する年齢は、15歳前後より上であることが多い。そして児童支援制度の数々を利用できるのは、「児童」である18歳までの期間のみ。虐待される環境からの脱出に成功すると、その瞬間、独り立ちへのカウントダウンが始まる。

 さらに、子ども自身が虐待を認識していない場合も多い。虐待は、「しつけ」「教育」「あなたのためを思って」といった名目で行われるものである。子どもが「自分は虐待されている」と気づいたときに20歳を超えていると、もはや、被虐待児童を対象とした支援制度はまったく利用できない。

 日本の児童支援・若者支援・学生支援は、年齢で細かく区切られている上に「想定外」の部分が多く、各自の事情に沿って隙間なく組み合わせることが可能とは限らない。その上、本人たちの心身には「虐待によるトラウマ」というハンディが厳然として存在する。ハンディを背負っての歩みには、より多くの時間がかかるかもしれない。

 しかし大学等の学費免除や奨学金などの制度は、そんな若者たちの存在を十分に考慮できていない。留年や休学は、しばしば「カネの切れ目」になる。すると生活が成り立たなくなり、学業継続も復学も困難になる。

 もし、生活保護で生存の基盤を支えながら大学等に在学することが可能になれば、状況は一変する。加えて、大学等が経済的支援を十分に提供すれば、日本史上最強の学生支援が生まれる。経済的な不安と無縁に、大学等で次のステップへの力を身につけることが可能になれば、少子化と人口減少が進み続ける日本は明るい未来像を描けるだろう。

 中村さんたちの願いは、「私たちに選択肢をください」だという。就職して職業人として歩み始めるために大学等で学ぶステップをたどる「選択肢」を手にしたいという望みは、「ゼイタク」なのだろうか?