進退極まり破壊的な行動をした国と言えば、戦前の日本

 戦前の日本はアメリカに石油、くず鉄などでゴリゴリに依存し、国力も凄まじい開きがあった。「軍備拡張の近代史」(山田朗)によれば開戦時のアメリカのGDPは日本の11倍、自動車保有数は日本の160倍、粗鋼生産量は12倍。だから、柳井氏のように、経済動向をもとに合理的に判断を下せる人々は「対米戦争は絶対に避けるべき」と主張していた。陸軍や海軍のシュミレーションでも「日本必敗」は確定していた。

 しかし、その負け戦に踏み切った。「それでも日本人は戦争を選んだ」なんて格好のいいものではなく、英米が最も嫌うナチスドイツと三国同盟を結んで石油をストップされるなど、やることなすこと状況判断を誤り、進退極まってそれしか道がなくなったのである。

 その中でも対米交渉決裂にトドメを刺したのが、仏印(フランス領インドネシア)への侵攻だ。大東亜共栄圏だ、有色人種の解放だなんだという理想は掲げたが、主な目的は「資源確保」、つまり「米国依存からの脱却」だった。それがよくわかるのが、日本軍が仏印に侵攻する約1カ月前の「米国依存から東亜自足へ 近衛内閣に現地の要望」(読売新聞1940年7月24日)という記事だ。

「経済政策においても対外依存をやめ例へば物動計画に於て時には敵とも交戦国ともなり得るアメリカにその一部を頼るが如きは避けて日満支ブロックによる自給計画を推進せしむべきである」(同上)

 いかがだろう。「アメリカ」を「中国」に置きかえれば今、永田町や霞が関での経済安全保障の議論とそれほど変わらない。このマスコミの主張からもわかるように、日本は「自給」ができなかった。だから戦う前から負けが決まっていた。

 つまり、我々は厳密に言えば、アメリカに戦争で敗れたのではなく、「経済安全保障」で敗北をしていたのである。