「西洋のすべての哲学は、
プラトン哲学への脚注にすぎない」の意味

 このような業績に対して、連合王国の哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861-1947)が、有名な言葉を残しました。

 「西洋のすべての哲学は、プラトン哲学への脚注にすぎない」

 この言葉は、プラトンが書き残した文献の中には数多くの哲学的なテーマがほとんどすべて存在していることを表現しています。

 西洋哲学を学び始める人にとって、まず眼前にはプラトンの大きな文献の山が存在しているのですが、見方を変えると、プラトンの著作が残っていたからです。

 当たり前の話なのですが、プラトンは幸運だったなと思ったりもします。

 大学者が、ある時代に生きていたとしても、業績が残っていなければ後世に影響を与えることは難しい。

 中国で孔子より少し遅れて登場した大思想家がいました。

 墨子です。孔子に対して批判的な論理を展開し、名を残しました。

 しかし彼の教団は、その死後にしばらくの時間を置いて消え去り、その著書も多くが失われました。ホワイトヘッドの言葉を考えるとき、墨子の不運を想い浮かべることがあります。

 プラトンの師、ソクラテスは、ギリシャ人としては見栄えのしない風貌(ふうぼう)の男だったと、伝えられています。

 一方、プラトンは体格も顔立ちも立派でした。

 イタリア・ルネサンスの画家ラファエッロが描いた『アテナイの学堂』には、多くのギリシャの哲学者たちが描かれていますが、絵の中央にプラトンとアリストテレスが立っています。

 このプラトンのモデルになったのは、ラファエッロと同時代の巨人レオナルド・ダ・ヴィンチでした。

 プラトンは威風堂々たる人物であり、『ギリシア哲学者列伝』にも、負けず嫌いの自信家としてのエピソードが数多く語られています。

 この本では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を出没年つき系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)