日本人が知らない、リーダーシップと「自分の意見」の関係

外資系企業で評価されるマインドは、日本企業と大きく違う。そう語るのは、人気社会派ブロガー・ちきりん氏だ。知識やコミュニケーション力などよりも重視されるものとは、一体何なのか。
今回は、「現代を生きぬくための根幹の能力」を解説するベストセラーシリーズの最新作『自分の意見で生きていこう ――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ』の発売を記念し、特別インタビューを実施。米国の大学院に留学したのち、長く外資系企業で勤務してきたちきりん氏に、リーダーシップの本質を聞いた。(取材・構成/川代紗生、撮影/疋田千里)

「自分の意見」を言わない人に存在意義はない

──ちきりんさんは20代後半で米国に留学し、その後も長く外資系企業で働いてこられたんですよね。日本文化との違いで一番驚いたのは、どんなところでしたか?

ちきりん:「優秀」と評価される条件が日本社会とはかなり違うんですよ。日本では専門知識や協調性、コミュニケーション能力などが重視されがちですが、それよりもっと根本的なことが重視されるんです。

 たとえば、「これができないとクビになる」と言っても大袈裟じゃないくらい重要なのが、「自分の意見が言えること」です。入社早々から「自分の意見も言えないようではあなたの存在意義はないよ」と叩き込まれました。

 日本では、そこまで「あなたの意見は?」と詰められた記憶はありません。でも欧米ではまず「あなたの意見は?」なんです。「自分の意見を言ってもらうためにあなたを雇っている。作業させるために雇っているわけじゃない」と繰り返し教えられます。作業するだけなら、外注でも事足りますからね。組織の正式なメンバーとして雇っている以上、自分の頭で考えて意見を出さないと、いる意味がないでしょ、という感じでした。

「反応」だけではダメな理由

──少し意外でした。「リーダーシップがある」とか、そういうスキルを求められそうだな、というイメージがあったのですが。

ちきりん:そこも理解されていないんですが、実はリーダーシップの最初の一歩こそが、「自分の意見を明らかにすること」なんです。日本だとリーダーシップって、他人に指示することだと考えてる人さえいますが、そうではなく、リーダーの最初の仕事は「どこを目指して進むべきなのか」について、自分の意見を明確にすることです。

 組織をともに運営していくメンバーの中に「ほとんど自分の意見を言わない人」や「他者の意見に賛成するだけの人」「他者の意見に反対しかしない人」ばかりいては、議論もプロジェクトも進みません。

 コミュニティが何か問題を抱えたとき、それぞれのメンバーが知恵を絞り、考え抜いた上で意見をぶつけ合う。そうやって「意見で組織に貢献する」という姿勢を見せないと、仲間とはみなしてもらえない。

 意見を言わず、コミュニティの運営になんの貢献もしない人は「フリーライダー」=「ただ乗りする人」とみなされてしまう。しかも、「私には意見はないけれど、かわりに一生懸命、作業を担当します!」では、本当の意味での仲間にはなれないんです。

 会社でも家庭でも同じですが、意見を明確にしてリーダーシップをとらないと、つまり、「誰かが決めてくれれば自分はそれに従う」という態度だけでは、仲間とは認められません。

 所属するコミュニティの問題を自分ゴトとして捉え、自分の意見を明確にし、それを他のメンバーに伝え、議論する。これこそ、「仲間」として認められるための条件であり、そうした態度こそがリーダーシップと呼ばれるものなのです。

日本人が知らない、リーダーシップと「自分の意見」の関係ちきりん
関西出身。バブル期に証券会社に就職。その後、米国での大学院留学、外資系企業勤務を経て2011年から文筆活動に専念。2005年開設の社会派ブログ「Chikirinの日記」は、日本有数のアクセスと読者数を誇る。シリーズ累計40万部のベストセラー『自分のアタマで考えよう』『マーケット感覚を身につけよう』『自分の時間を取り戻そう』『自分の意見で生きていこう』のほか、『徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のこと』(以上、ダイヤモンド社)など著書多数。

──ちきりんさんの新刊を読んでいると、もしかして、自分が今まで「意見を言っている」と思っていたものは、「意見」と言えるようなものではなかったのではないか? と思えてきました……。

ちきりん:それこそ、今回の本で私が一番強調したかった点です。フェイスブックにしろインスタグラムやツイッターなどのSNSにしろ、いつも驚くのが、「反応だけ」の人の多さです。おそらく「反応」を「意見」と思い込んでいる人も多いと思います。

──「反応」と「意見」は、違うということですか?

ちきりん:まったく違います。「反応」としてもっともわかりやすいのは、テレビでバラエティやニュース、ドラマなどを観ながら「何これ、本当?」「こんな設定ありえないよー」など、画面に向かってつぶやくひとり言です。

 こうしたひとり言の大半は、「その番組や演出にたいする意見」ではなく、単に目や耳に入ってきた情報への「反応」に過ぎません。反射的に感じたことを口にしているだけで、思考というプロセスを経ていません。

──たしかに、しっかりと自分の頭を働かせて出した「意見」とは言えないですね。

ちきりん:「反応」って何も考えなくても言えるけど、「意見」は考えないと言えません。思考を必要とするかどうかにおいて、反応と意見はまったく違います。

──「意見」と「反応」を見分けるポイントは何かありますか?

ちきりん:その人が「自分のポジションをとっているかどうか」でわかります。発言によって「その人がどこに立って発言しているか」が明確になっていれば、それは「意見」です。一方、それらしく聞こえても「その人の立ち位置、すなわちポジションがどこなのかわからない言葉」は、意見ではなく反応に過ぎません。

「意見」と「反応」を見分けるポイント

ちきりん:意見と反応の見分け方については、『自分の意見で生きていこう』の中で具体例をあげて説明しているので、それを紹介しましょう。

 覚えていらっしゃるでしょうか。霞ヶ関(厚生労働省)が新型コロナ対策として、接触確認用のアプリを作りました。でも重大なバグがいくつもあり、ほとんど実用にたえず、あまり普及していません。問題発生後に行われた調査によると、アプリ納品時の動作確認が十分でなかったことが原因とされ、厚生労働大臣が謝罪しています。

 この件について私はツイッターで「厚生労働省はアホすぎる!」と呟きました。それにたいして、次のようなコメントが寄せられたのですが、これらのうち、どれが「意見」でどれが「反応」だと思いますか? ちょっと考えてみてください。

 ちきりん:「アプリが納品されたときに動作確認もしないなんて、厚生労働省はアホすぎる!」
 返答1:「ちきりんはなにもわかっていない!」
 返答2:「いや反対だ。ヒドいのはアプリの開発会社だ。厚労省の問題じゃない」
 返答3:「厚労省のどういう点がヒドいと思うのですか?」
 返答4:「厚労省はたしかにヒドい。でも開発会社も同じくらいヒドいでしょ」
 返答5:「開発会社側に問題がないというなんてありえない」
 返答6:「厚労省もヒドいけど受注側の開発会社のほうがヒドいでしょ」

──うーん、どれもそれらしい意見を言っているようにも見えますが……。どのように考えるとわかりやすいでしょうか。

ちきりん:まずはこの問題について、「どんなポジションが存在するのか」を確認しましょう。ここでは、それぞれの発言者がとれるポジションはふたつの問いのふたつの答えによる組み合わせで、4つあるんです。

 問い1:問題が起こった責任は、厚労省にあるのか、ないのか
 問い2:問題が起こった責任は、開発会社にあるのか、ないのか

 この2つの質問の両方に「ある」と「ない」の2つの答えがありえるので、とれるポジションは4つになります。

「意見」とは、「自分がこの4つの領域のうち、どのエリアに立っているか=どのポジションに立っているのか」を明確にする言葉のことです。反対に、どこに立っているのか不明確な言葉は「反応」です。

──なるほど。となると、さきほどの例で考えると、どうなるのでしょうか。

ちきりん:このような分類になりますね。

【意見】
ちきりん:「アプリが納品されたときに動作確認もしないなんて、厚生労働省はアホすぎる!」
返答2:「いや反対だ。ヒドいのはアプリの開発会社だ。厚労省の問題じゃない」
返答6:「厚労省もヒドいけど受注側の開発会社のほうがヒドいでしょ」

 返答2、6は発言者がどこに立っているのか、明確にわかるので「意見」といえます。

【意見だが、やや日和っている】
返答4:「厚労省はたしかにヒドい。でも開発会社も同じくらいヒドいでしょ」

 答4も、この問いならポジションはとっているので意見です。ただし「どちらの責任がより重いか?」という問いだとポジションが取られていないので、反応になります。

【反応】
返答1:「ちきりんはなにもわかっていない!」
返答3:「厚労省のどういう点がヒドいと思うのですか?」
返答5:「開発会社側に問題がないというなんてありえない」

 返答1、5は私の意見を否定しているだけで、自分のポジションは明確にしていません。返答3も単なる質問であり、意見ではありません。なのでこれらは反応です。

 つまり、6個の返答のうち意見と反応は半分ずつです。自分の意見を発しているようで、実はただの「反応」にすぎないって人、実はかなり多いと思います。

シリコンバレーが失敗経験のない人を評価しない理由

──いやー、目から鱗の連続です。ただ、日本では「失敗して恥ずかしい思いをしたくない」と思うあまり、自分の意見をはっきりと主張するのが怖い、という風潮が強いんじゃないかと思うんです。

ちきりん:その考え方も海外と大きく違うところです。日本人はよく「シリコンバレーは失敗に寛容だが、日本社会は失敗した人を許さない」と言いますが、この理解は完全に間違っています。「シリコンバレーは失敗に寛容」なのではなく、「失敗経験のない人など、まったく評価しない」のです。

「失敗をとがめない」という言い方には、「失敗はよくないものだが許してやろう」的なニュアンスが含まれています。でも本当は、失敗は宝なんですよ。就職の面接では、必ずといっていいほど「人生最大の失敗は?」と聞かれます。小さな失敗しかしていない人は「チャレンジしてこなかった人」とみなされ、評価してもらえない。

──日本人の失敗にたいする意識と正反対なんですね!

ちきりん:失敗以上に成長できる経験はないですからね。日本でよく聞く、「失敗の責任は問わない」とか、「失敗してもセカンドチャンスを与える」という言い方でさえ、前提として失敗を悪いものとして扱っているように聞こえる点で、すでに時代遅れに思えます。

『マーケット感覚を身につけよう』に載せた下記のイラストにあるように、失敗とはスタート地点から成功までの途上に存在する学びの機会です。成功するために不可欠なモノとも言えるでしょう。

 自分の意見を持ち、意思決定をすることは、怖く感じられるかもしれません。けれど、しっかりと思考し、自分の意見に基づいて進めたことなら、たとえ最初の結果がよくなくても、つまり失敗したとしても、必ずなんらかの学びが得られます。

 ぜひ怖がらずに「自分の意見を明確にする」という姿勢を身につけてほしいと思います。

日本人が知らない、リーダーシップと「自分の意見」の関係