プラトンが「哲人政治」を目指した理由

 政治形態の5つ目に民主政が出てきます。

 「多数の人で決めていく制度」がルールとなりますから、個人や少数の集団による専横は、原則的には起こりにくい政治形態です。

 プラトンが政治形態について語るとき特徴的なことは、民主政にとどまらず、哲人政治を加えていることです。

 彼が「哲人王」と呼ぶような賢い君主や、複数の賢い人たち(哲人であり実務者であるような)によって形成される「夜の会議」によってこそ、善い政治が実行されるとプラトンは述べています。

 プラトンが哲人政治が一番いいと考えた原因は、彼が生きたアテナイの政治状況に起因していたのでしょう。

 スパルタの息がかかった連中が、寡頭政をやっても民主政をやっても、アテナイにとっていいことは何もない。

 当時のアテナイにとって必要な政治形態を考えたとき、プラトンは哲人政治に思いが至ったのではないでしょうか。

 もしもプラトンがペリクレスの全盛時代に生きていたら、民主政のよさをより高く評価していたかもしれません。

 しかし、プラトンが当時のアテナイに抱いていた政治的危機意識は強烈なものでした。

 彼はアテナイを救うべき哲人政治を、実践できる機会をシチリアで得ました。

 その機会は1回目のシチリア紀行のときに、プラトンの愛弟子となった若い哲学者の縁から生まれました。

 機会は2度訪れました。

 しかし2度ともシチリアの政争に巻き込まれて、中途半端(失敗)に終わりました。

 結局、ほんの短期間、シチリアの政治指導者たちに、哲人政治について語り、指導しただけだったのです。

 しかしそれでも、同じ哲学者であり、やはり自らの理想とする政治を具体的に実践したいと念じていた孔子が、結局、実現の機会が一度もないまま中国の各地を遍歴したことに比較すれば、幸運であったのかもしれません。

 シチリアから戻った後、プラトンは著述とアカデメイアにおける教育に専念し、BC347年に80歳で没しました。

 プラトンについてもっと勉強したい人には、内山勝利『プラトン『国家』──逆説のユートピア』(岩波書店、書物誕生あたらしい古典入門シリーズ)をお薦めします。納富信留『プラトンとの哲学──対話篇をよむ』(岩波新書)も良書です。なお、岩波書店から『プラトン全集』(全15巻、別巻1)が出ています。読んでみてください。

 この本では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を出没年つき系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)