「中庸」とは何か?
『ニコマコス倫理学』でアリストテレスは、「中庸」という概念を提示しています。
中庸という用語は儒教からの借用です。
ギリシャ語ではメソテース(mesotes)、英語ではゴールデンミーン(golden mean)といいます。
人間の行為や感情における超過と不足という両極端の中間に、徳が存在するとアリストテレスは説きます。
たとえば、ある日、鬼が表戸を破って侵入してきたとき、素手で殴りかかるのは食われるだけの蛮勇にすぎない。
しかし、怖がって隠れてしまうのは臆病なだけである。
やっぱり武器を持って知恵を絞り、勇気を持って鬼と戦うことだ。そこに徳(エートス)があり、幸福へつながる道があるのだ、とアリストテレスは中庸の大切さを説いたのでした。
さらにこのゴールデンミーンの延長線上に望むべき政治の姿もあるのだと、アリストテレスは考えました。
人間の幸福は民主政の都市国家においては、中庸の道を採って政治を行うことで実現されるのだと。すなわち善は共同体によって実現されるのです。
ちなみに「倫理学」という訳語は、哲学者、井上哲次郎の発案です。
中国の古典(礼記)に由来しています。「人間の秩序だった関係(倫)を定める(理)学問」、といった意味合いです。
この本では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を出没年つき系図で紹介しました。
僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。
(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)