他人の悪いところだけならすぐに見つけられるのに

私もまだ社会に出て7年程度、アラサーのあまちゃんだから、予想するしかないのだけれど。

きっと、その通りでもあるし、その通りじゃないんだろうと思う。

人は、自分のだめなところはよく見えないし、認められないけれど、周りの人のだめなところは、ものすごくよく見えるのだと思う。

「あいつはこんなところがダメだ」とか「使えない」とか「気が利かないな」とか、そういうことはとても目ざとく察知するのに、いざ、自分がやろうと思ったら、思うようにはいかない。

気をつけて気をつけて異常なほど気をつけていても、結局間違えることもある。

そういうものなのだ。

人間は基本的に、自分に甘く、人に厳しい生き物なのだ。

自分を棚に上げて、他人のことを否定したくなってしまう。それは仕方のないことだ。

私だってそうだ。他人の悪いところだけならすぐに見つけられるのに、いいところは一生懸命探さないと見つけられない。それどころか、負けず嫌いな気持ちが強すぎるせいで、相手のいいところを素直に見ようとすらしないこともある。

その割には、「紗生ってこういうところ直したほうがいいよ」と言われるとものすごくカチンとくる。「なにそれ!?」と思う。自分に短所があるのを認めたくないのだろう。

そこまで考えて、お箸を置いた。納豆ご飯もおしんこもお味噌汁も煮物もおいしかった。

こんなにおいしいものを食べながら、なんてひどいことを考えているんだろう、と思った。

でも、こういうのって、大事だよな、と思う。

「自分は、自分に甘く、他人に厳しい人間だ」と認識しているかいないかで、生き方も言葉選びも、変わってくる。

これが、「自分はすばらしい人間で、他人に優しくて自分に厳しい人格者」だと勘違いしていたらもう手に負えないけれど、認識していれば、多少は治そうという気持ちになれるからだ。

私は、空になった定食のお皿を見て、思った。

人間関係も、こんな風に簡単だったらいいのにね。

あー、ここのなっとう、おいしいなあ、とか。

野菜の味が生きてて、すごく体にしみるな、とか。

お味噌の味、赤味噌っぽくて結構好みだな、とか。

そんな風に、簡単に、素直に、いいものはいい、って言えればいいのに。

自分を安心させたいからとか、仕事のストレスで無理やり「仕事がうまくいかない原因」を作りたいからとか、そんな風に邪な感情がまじったうえで誰かを批判するんじゃなくて、ご飯を食べる時みたいに、簡単ならいいのに。

おいしいとか、まずいとか、それくらい素直に言えたら、もうちょっと楽に生きられるのにね。

まあ、人間関係、そううまくもいかない。

現代社会で、現役世代として一生懸命働くのは大変だってことは、大人になってつくづく、痛感している。もちろん、まだまだだと思うけれど。

でも、私はかっこいい大人になるために、自分で自分に責任を持って生きていきたいな、と思う。

すべての原因は自分にあると、自分の人生の結果は全部自分が引き起こしたものだ! と強く言えるくらいの、武士みたいな人間になりたい。

あとは、常にごはんを食べるときみたいな素直で、「好き」とか「嫌い」とか、ずっと言い続けていたい。そんな大人になりたいな。

まさか、こんな定食屋さんで発見があるとは思わなかったけれど、こういうことが時々起こるから、人生は面白いもんだ。

「ごちそうさま」

一人だから、あんまり周りに聞こえないように小さな声で、つぶやいた。

おいしかった。

さて、明日も頑張ろう。

「使えないクソ上司」について愚痴ってる人たちはみんな仕事ができるのか問題川代紗生(かわしろ・さき)
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。
Twitter@kawashirosaki