観客は上限3000人。マスク着用で発声を禁じられ、拍手でプレーをたたえる。ファンにとって楽しみでもあるにぎやかな両校の応援もなし。それでも、リーグ戦の観戦がかなう幸運に感謝しなければいけなかった。

 8月10日、明治に5‐1で勝利。先発・早川の安定感。5番の2年生蛭間拓哉が3安打。投打がかみ合っての完勝だ。続く12日の法政戦でも、春先に調子を落としていた先発の徳山が「見違えるほどの素晴らしいピッチング」と監督が評するできだった。しかし9回終わって1‐1。特別規則として採用された六大学史上初のタイブレーク戦となる。無死一・二塁で攻撃スタート。表の早稲田は無得点。裏の攻撃で法政は犠牲フライでサヨナラ勝ちを収めた。

 13日の東大戦。5回終わって1‐0と早稲田がリードしていたが、雨脚が強くなり、夏空を揺さぶるような雷がとどろいた。アンツーカー(赤土)部分にブルーシートがかぶせられ、小一時間様子を見たもののノーゲーム。私も2階席で待ったが不思議と退屈しなかった。お盆の初日でもある。雨にむせぶ風景に雷。神宮の広い空を見上げているだけで時が過ぎた。

 15日の早慶戦の前には野球殿堂入りの特別表彰があった。早稲田・石井連藏、慶応・前田祐吉。二人は1960年秋季の「早慶六連戦」の監督である。あれから60年後の春季の早慶戦は9回終わって3‐3。またしてもタイブレーク戦となり、早稲田は3‐5で敗れた。

 16日の立教戦は4‐0と徳山が完封勝ち。18日の東大再試合では西垣からの投手リレーで9‐0。優勝は法政、2位慶応。早稲田は立教と同率の3位だった。

 最終戦に勝った小宮山は、猛暑の春季リーグ戦を総括した。

「無事に開催し、閉幕した。全国の大学野球連盟に対して、なんとかやれた、秋に向けてみんなで頑張りましょうというメッセージになったと思う」

 次はチームとしての総括。小宮山は寮に戻り、4年生を集めた。

「覚悟を決めろ」
監督が4年生に説教

 黒星2試合はいずれもタイブレーク。仮に9回打ち切りのルールならば2引き分けを含む勝率10割だ。だがそれでも、最上級生たちに苦言を呈した。

 まず、打てないこと。

 相手投手との勝負だから、結果としての三振や凡打は仕方ない。だが食らいついていく意識が足りないと小宮山は思う。

 失敗を恐れるせいか、積極性に欠ける。初球の甘い球を平気で見逃す。「早稲田には初球は打ってはいけない、というルールでもあるのか」とさえ思ったくらいだった。小宮山は相手投手に感情移入する。初球に見逃しのストライクを取り、ファールを打たせて追い込める。そんな調子で追い込まれ、見逃し三振をした選手もいた。そのとき小宮山はこう思い、声を荒らげそうになった。

「見逃し三振なんて、オレにだってできる!」