2人が生きた時代背景

 このような時代にブッダは誕生しました。

 現在ではネパール領となっている、ヒマラヤ山脈に近いシャーキャ族(シャカ族)の土地カピラヴァストゥで王族の子どもとして。

 しかしカピラヴァストゥは、強国の領土拡大戦争に巻き込まれる危険にさらされており、必ずしも平穏ではなかったようです。

 ブッダはそのような政情の中で成人し、結婚しましたが、29歳のときに妻子を捨て、家を出ました。

 生老病死という4つの人生の苦悩(四苦)を解決しようとしたのが、理由であるといわれています。

 やがて彼は悟りを開いて、コーサラ国やマガダ国で、教化活動をするようになります。

 ブッダと同じ時代にマハーヴィーラも誕生しました。

 彼はマガダ国の豪族の子として生まれています。

 ブッダと同様に、支配階級(クシャトリヤ)の出身でした。

 そしてマハーヴィーラも結婚しましたが、30歳の頃、両親と死別したのを機に一切を捨てて出家し、苦行と瞑想の日々を送ったと伝えられています。

 やがて彼も自分の教団をつくり、ブッダと同じような地域で教化活動を始めました。

 当時のインドの宗教は、アーリア人の宗教であるバラモン教が中心でした。

 この宗教は、人々を4つの階層(ヴァルナ)に分けました。

 いわゆるカースト制です。

 最上位を占める司祭者階級がバラモン、次がクシャトリヤ(王侯・貴族)、そしてヴァイシャ(一般市民)とシュードラ(隷属階級)です。

 バラモン教といわれるほどですから、この宗教ではバラモンが圧倒的な権威を持ち、人々の上に君臨していたのです。

 神々と意思を交換する権利は、彼らのみが持っていました。

 しかし、ブッダやマハーヴィーラが出家した頃のインドでは、バラモンの権威と権力に対して疑問符が持たれるようになってきます。

 高度成長によって豊かな人々が増加してくると、司祭者階級よりも農民や商人など、ブルジョワジーの力が大きくなってきます。

 彼らは財力を蓄えるとともに、自由な発想を持つようになります。

 知の爆発が準備されていたのです。

 神々とのコミュニケーションを独占して、神々への供養ばかりしているバラモンたちに、反発する知識人も登場し始めました。

 そのような知識人の一部は既存のバラモン教の社会から脱け出し、新しい教えや生き方を求めるようになりました。

 彼らは「出家」と呼ばれました。

 ブッダとマハーヴィーラは、このような時代背景の中で登場したのです。