組織改革は発案されるが
実行可能性でつまずく
この架空鼎談は組織において変革を実行するのがいかに難しいか、ということを示す例として提示した。少しだけ解説したい。
第一の観点は、最強チームを作るという観点である。この観点から言うと、選抜方法を変革したほうが良いのではないかという話も有力になっている。もちろん変えることのリスクを主張する人もいるが、新しいチャレンジそのものが否定されてはおらず、可能性の高さは認められている。
第二の観点は、メダルを取るということではなく、カーリングというスポーツがもっと社会に受け入れられるためにどのように代表チームを作れば良いかという観点である。今のまま、特に何も変えなければ4年前と同じことになってしまうという危機感は共有されたが、他のスポーツでの成功例(代表選考をドラマに仕立て上げる)が自分たちでも同じように使えるかどうかは、自信が持てないということになった。
第三の観点は、実際に変革を実現できるか、という観点である。上記2つの検討から、代表選手の選抜の方法を変えることは選択肢としてはあり得るとして、では実際に実現可能か、という観点である。組織における変革活動は、この実現可能性のところで大体暗礁に乗り上げる。変革を実施する際の抵抗、摩擦、闘争。そして失敗時の責任問題。このようなことを真面目に考え始めた瞬間から、十分あり得た選択肢を実施しようとする意欲がヘナヘナと消失してしまうのである。特に、現状が悲惨で皆が変革しなければという強い意思を持っているような状況でもなければ、結局、誰もリスクを取って大きな変革活動を行おうとはしない。
大失敗しなければ
現状維持されてしまう
かくして、大失敗をした後か、外圧や天変地異か、鶴の一声ですべてが変わるようなリーダーが出現しない限り、大きな変革は行われない。多くの変革活動の兆しは、この架空の鼎談のようなことを皆で話し合った結果、結局何も行われないまま終了する。
数多くの組織で、今のままではないほうが良いことがはた目にも明らかであったり、少なくとも変革の試みくらいはしてみても良さそうだったりする事柄が、一顧だにされず、旧態依然のまま、同じことが同じ形態で同じように何の反省もなく、受け継がれているかのように見えるのは、内部で上記のような話し合いが行われては、沙汰やみとなっているからである。
カーリングの代表選考方法は、4年後も変わることはないだろうし、そもそも変更の検討すらもされないだろう。個人的には、ぜひロコ・ソラーレが出て今度は金メダルを取ってほしい。でも、一方でまだ知らない有望な若手の活躍も見たいし、ライバルのフォルティウスの逆襲も見たい(といっても代表最終選考の試合を見ただけである)。しかし、次回、日本として、もし本当に金メダルを取りたいというのであれば、代表選手の選考方法の改変に本来はチャレンジすべきではないかと思っている(私が思ったからといって何の影響力もないが)。
会社組織でも、それほど悪くない状況であれば、今のやり方を変えることは難しい。大きな失敗がなければ現状は維持される。挑戦ができるのは、明確に失敗したときだけなのである。社員が唯一できることはそのときを待ち、案を練り、準備をしておくことだけだ。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)