ひどい目に遭うのも面白かった

 ひどい目に遭わされて、しかもお金まで払ってあげて、どうしていっしょに飲んでたのかって不思議に思われるかもしれません。ひと言で言うと、そういう状況も含めて面白かったんですよね。やっぱり売れていた人だし、行動も発想も放つオーラも独特だった。本を何十冊読むよりもたくさんのことを学ばせてもらいました。

 ちょうど全国ラーメン党を結成した頃かな、やすしさんは久米宏さんといっしょに「久米宏のTVスクランブル」に出演していました。あの番組に出るときは、だいたい酔ってましたよね。それで収録に来ないときもあったりして。

 やすしさんに「さすがにまずいから、収録が終わってから飲んだらどうですか」って言ったんです。そしたら、

「おもろないわ! 久米のヤツ、スカしやがって。あいつは笑いがわからんのや。吉本が取ってきた仕事やからしょうがなしにやっとるけどな」

 と文句言ってました。お酒のことでいろんな人に注意されて、飲まないようにマネージャーやスタッフが目を光らせていたんでしょうね。

 そのうちテレビ局の全部のトイレの鏡の裏側に、ウイスキーの小さな瓶を隠し始めた。それをこっそり飲んでからスタジオに入るんです。お酒に対する執念がすごいですよね。

ドキドキを味わわせてくれた

 やすしさんは7歳ぐらい年下なんですけど、ずっとぼくが敬語を使っていました。あちらのほうがぜんぜん売れてたし、やすしさんは関西弁、ぼくは東京のしゃべり方なんで、敬語を使っていると安心してくれたみたいです。ジャンルは違いますが、お互いに芸人としてリスペクトし合っていたと、ぼくのほうは思っています。

 やすしさんといると、いつ何が起こるか、どこでどんな反応をするかわからない。そんなドキドキを味わわせてくれるのが、とても魅力的なんですよね。「この状況ではこうする」という“常識”をまったく気にしない人でした。もちろん、わざと型破りを演じていたわけでもない。あくまで自然体だったんです。

 結局、好きすぎたお酒で寿命を縮めて、1996(平成8)年に51歳の若さで亡くなりました。早かったなと思いますが、濃い生涯でしたね。常に自分の気持ちに正直に行動して、人生を目いっぱい楽しんだんじゃないでしょうか。

 たいへんな目にも遭いましたけど、やすしさんのようなバカのエリートと付きあえて、ありがたかったと思ってます。何より、とっても楽しかった。夜中に家に来られるのは、もう勘弁してほしいですけど。

林家木久扇(はやしや・きくおう)
1937(昭和12)年、東京日本橋生まれ。落語家、漫画家、実業家。56年、都立中野工業高等学校(食品化学科)卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。60年、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後に八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵の名を授かる。69年、日本テレビ系「笑点」のレギュラーメンバーに。73年、林家木久蔵のまま真打ち昇進。82年、横山やすしらと「全国ラーメン党」を結成。92年、落語協会理事に就任。2007年、林家木久扇・二代目木久蔵の親子ダブル襲名を行ない、大きな話題を呼ぶ。10年、落語協会理事を退いて相談役に就任。21年、生家に近く幼少の頃はその看板を模写していた「明治座」で、1年の延期を経て「林家木久扇 芸能生活60周年記念公演」を行なう。「おバカキャラ」で老若男女に愛され、落語、漫画、イラスト、作詞、ラーメンの販売など、常識の枠を超えて幅広く活躍。「バカ」の素晴らしさと底力、そして無限の可能性を世に知らしめている。おもな著書に『昭和下町人情ばなし』(NHK出版)、『バカの天才まくら集』(竹書房)、『イライラしたら豆を買いなさい』(文藝春秋)、『木久扇のチャンバラ大好き人生』(ワイズ出版)など。