哲学は人間関係も豊かにする

苫野:もう一つ、私も哲学は人間関係を豊かにすることに役立つと思っています。

 これも私の師匠の竹田青嗣の哲学理論なんですが、「自我のエロスから関係のエロスへ」という理論があります。

 ここでいう「エロス」とは、「快」感情全般のことです。

「自我のエロス」とは、「自分がこうしたい」「自分がああしたい」という、自己中心的な欲望のことです。

 ところが面白いことに、この「自我のエロス」は、条件が整えば「関係のエロス」に発展していくのです。

 つまり、「自分が、自分が」ではなく、「この人との関係性を大事にしたい」という欲望に展開していくんです。

 これは、さっき星さんがおっしゃった「他人と繋がりたい欲求」に根ざした欲望ですね。

 夫婦関係でもそうですが、私たちは、単に自分の快楽を追求するだけでなく、「この人との関係性を大事にしたい」という欲望を持ち得ます。

 そうした欲望がある限り、私たちはそのためにお互い努力することができる。

 だから、人間関係が苦しくなった時、それでもなお「関係のエロス」がそこにあるなら、じゃあ、どうやったら関係の喜びを味わえるかを考えられるといいですね。

星:僕の解釈が入ってしまいますが、「自我のエロス」は元々、「関係性のエロス」を内包していて、あなたの自我や、哲学的な思考がそれを解きほぐす。

 欲求をネガティブに捉えるのではなくて、「自分勝手な欲望」はあなたの「思考」でその中にある「関係性への喜び」に発展させることができるんですよ。

 そういう、ポジティブなメッセージを受け取りました。

苫野:人間は利己的な生き物か、それとも利他的か生き物かという問いがありますが、これも前回お話しした「問い方のマジック」です。どっちかが正しいわけじゃない。

 むしろ考えるべきは、人はどういう条件が整えば利己的になり、またどういう条件が整えば「関係のエロス」へと開かれるのか、という問いです。

 自分はどうすれば、この人、この人たちとの関係から喜びを得ることができるんだろう。

 そんなことを「考える」ことができるようになると、人間関係もより豊かになるんじゃないかと思います。

 もちろん、ニーチェも「愛せない場合は通りすぎよ」と言っていますが、「関係のエロス」がどうしても得られない場合は、通り過ぎることも大事な知恵ですが。

以上