スタンフォード大学・オンラインハイスクールはオンラインにもかかわらず、全米トップ10の常連で、2020年は全米の大学進学校1位となった。
世界最高峰の中1から高3の天才児、計900人(30ヵ国)がリアルタイムのオンラインセミナーで学んでいる。そのトップがオンライン教育の世界的リーダーでもある星友啓校長だ。
全米トップ校の白熱授業を再現。予測不可能な時代に、シリコンバレーの中心でエリートたちが密かに学ぶ最高の生存戦略を初公開した、星校長の処女作『スタンフォード式生き抜く力』が話題となり、ロングセラーとなっている。
ベストセラー作家で“日本一のマーケッター(マーケティングの世界的権威・ECHO賞国際審査員)”と評された神田昌典氏も、
「現代版『武士道』というべき本。新しい時代に必要な教育が日本人によって示されたと記憶される本になる」
と語った本の要点と本に掲載できなかった最新情報をコンパクトに解説する本連載。
今回は、哲学者で教育学者の苫野一徳氏(熊本大学准教授)と星校長との初対談・後編をお届けする。
星友啓(以下、星):前回は、哲学の観点から「いつも論破してくる人から身を守る方法」についてお話しを伺いました。
今回は、哲学と「メンタル」の繋がりについて焦点を当てていきます。
哲学がメンタルに対してどのような良い影響を与えるのか、先生の見解を伺えたらと思います。
哲学を使って、鬱病を克服
哲学者・教育学者。熊本大学大学院教育学研究科准教授。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。
著書に『どのような教育が「よい」教育か』(講談社)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『教育の力』(講談社現代新書)、『「自由」はいかに可能か』(NHK出版)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『はじめての哲学的思考』(筑摩書房)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『ほんとうの道徳』(トランスビュー)、『愛』(講談社現代新書)、『NHK100分de名著 苫野一徳特別授業 ルソー「社会契約論」』(NHK出版)、『未来のきみを変える読書術』(筑摩書房)、『学問としての教育学』(日本評論社)などがある。
苫野一徳(以下、苫野):私自身、哲学に大きく救われた経験をしています。
実は物心ついたころから不安神経症で、17歳から8年間、躁鬱病にもなりました。
とにかくメンタルに関してズタボロの人生だったんです。
でも、これらの病気を、私は「哲学」で克服することができました。
だから私には、「哲学はメンタルに効く」という確信があります。
もちろん、前回お話しした「一般化のワナ」に陥ってはなりませんが。
特に、これも前回お話しした「欲望-関心相関性の原理」に出会ったことが大きいです。
「欲望-関心相関性の原理」は、「私たちの認識や信念は、欲望や関心に相関的に編まれている」という原理です。
例えば、コップの水も喉が渇いていたら飲み水という意味を持ち、火を消したい時には火を消すためのものという意味を持つ。
このように、私たちは自分の欲望や関心に相関的に世界を理解しています。
私は子どもの頃、ちょっと哲学的すぎる少年だったためにあまり友達がおらず、「誰とも理解し合えない」という思いが常にありました。
だから、「友達なんていらない」「理解なんてされてたまるか」「おまえらなんかどうでもいい」と、自分から心を閉ざすようになっていった。
かと思えば、20代の頃には、激しい躁状態の中で、「人類は実はみんな愛し合っているんだ」という啓示が降りてきたこともありました。
でも、しばらくしたらまた鬱状態に戻ってしまう。
とにかく浮き沈みの激しい20代でした。
そうやって、どうしたら自分自身を満たすことができるのかわからずもがいている中、「欲望-関心相関性の原理」に出会ったんです。
そして、自分の中に隠されていた強い承認欲求に気づくことができた。
要するに、「本当は友達がほしい」「認められたい」「愛されたい」という、自ら隠蔽していた強い欲望に気づかされたんですね。
自分を苦しめていた欲望はそれだったんだと。
そして、その満たされない欲望の反動で、躁状態の時には、「いやいや、本当は人間はみんな愛し合っているんだ」なんていう世界像をつくり出した。
でも、「自分はこういうことを大事にしていたんだ」「こういうふうに生きたいと思っていたんだ」という欲望を理解することができたおかげで、自分の心の奥に隠れていた欲望とうまく折り合いをつけることができるようになりました。
自分の欲望を自覚することで、その欲望との折り合いの付け方を見つけ出す。
私には、これはとても大きな経験でした。
星:哲学の一つの見方を知って、自分を振り返るツールをもらったということですね。
苫野:そうですね。何をどのように考えればいいのか道筋が見えてきたんです。
人間が悩むことはいつの時代もわりと似ていて、しかもだいたいの問題は、実は哲学者たちによってすでに解かれています。
もちろん、私たち現代の哲学者は、それらの答えをさらに鍛え上げていく必要があります。
でも、哲学を学べば学ぶほど、自分の悩みはすでに考え抜かれていて、もうここまで答えが出ていたんだと思い知らされることがしばしばでした。
星:どう悩んだらいいかというヒントをくれて、さらにその先にどう考えたら悩みが解消されていくかを感じることができたわけですね。
苫野:はい。
幸せに生きるためにはやはり「欲望」の問題を避けては通れません。
「なぜ私たちは不幸になってしまうのか」という問いについては、大きく2つの理由が考えられます。
1つは、ジャン=ジャック・ルソーが言った「不幸の本質は欲望と能力のギャップである」という洞察。なるほど、うまい言い方だなと思います。
ならば、不幸をなくすためにはそのギャップをなくせばいいわけです。
一番いいのは、もちろん能力を上げることで欲望を満たすことでしょうが、これはそう簡単なことではありませんね。
実はほかにも、「欲望を変える」という選択肢があるんです。
人間って、意外にコロコロ欲望を変えることができるものです。
このことを知っているだけで、私たちは少しは生きやすくなるんじゃないかなと思っています。
もう一つ、「欲望が中心点を結ばない」という不幸があります。
つまり、「何をしたらいいのかわからない」「どう生きたいのかわからない」という不幸です。
私も何度も鬱をやっていますが、鬱の時は欲望が全部なくなるんです。
「美味しいご飯が食べたい」とも、「映画を見たい」「本を読みたい」とも全く思わない。
いわば世界に意味がなくなるんです。
それはつまり、生きている意味も見出せなくなる状態です。
これは本当につらいことです。
ですが、これも「欲望-関心相関性の原理」で克服方法を見出せました。
私はよく「キッチン掃除メソッド」と言っているんですが、例えばキッチンやトイレをとりあえず掃除してみるんです。
そうすると、キッチンがきれいになった、ただそれだけで、不思議なことに自分が世界に意味を与えたような気持ちになるんです。
すると、じゃあ次は料理をしてみようかな、外にも出かけてみようかなと、少しずつ欲望が回復し、世界がまた意味を持ち始めるんです。
不思議なもので、欲望って、どれだけズタボロになっても、身近なところからまた少しずつ手繰り寄せていくことができるものなんですね。
これもやっぱり、「欲望-関心相関性の原理」を知ったことで自分で編み出すことのできた思考法でした。