どん底を味わった29歳の分岐点
──井上さんのご経歴だけを見ると、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾高校を経て、慶應義塾大学経済学部に進学、2007年TBSテレビに入社し、『朝ズバッ!』の2代目総合司会に就任。その後は、2017年から『Nスタ』平日版の総合司会を担当……と、こう言ってはなんですが、順風満帆な道をたどってきたように見えます。努力が報われず、悔しい思いをしたことなど、あまりなかったようにも感じるのですが。
井上:そんなことは、ありません。ずっと悔しい思いをし続けていますよ。幼い頃から、コンプレックスだらけなんです。たとえば、「慶應義塾幼稚舎から慶應義塾大学まで進学した」という経歴を知ると、誰もが私が「お坊ちゃま育ちだ」と思うでしょう。そのせいで、これまでに何度も何度も数え切れないくらい「慶應→お坊ちゃま→ぬるま湯体質」という偏見で見られてきましたから……。
面白半分でからかうだけではなく、「慶應幼稚舎だかなんだか知らないけど、この世界、ぬるま湯に浸かってきた人間は絶対に頂点とれないからな」と、わざわざお説教をしてきた人もいました。この人が、いったい私の何を知っているんだろうか、と。本当に悔しかったですね。もちろん、表には出しませんでしたけど。
──アナウンサーのお仕事をする上で、つらかったことや、深く落ち込んでしまったことなどはありましたか?
井上:やっぱり、29歳ときのことですね。2010年からニュース・取材キャスターを務めていた『みのもんたの朝ズバッ!』が2013年にリニューアルして、初代総合司会を務めていたみのもんたさんが降板することになったんです。それを機に、私が『朝ズバッ!』の2代目総合司会に就任することになりました。
これ以上大きなチャンスはないぞ、と意気込んでいたんです。大御所のみのさんから番組総合司会を引き継ぐプレッシャーは、もちろんありましたが、高揚感のほうが勝っていました。「明日は何を言おうか」「こんなネタを入れてみたらどうだろうか」と、次の日の生放送が楽しみで仕方ありませんでした。
それくらい力を入れていたにもかかわらず、『朝ズバッ!』は私が総合司会に就任してから半年で幕を閉じることになったんです。あのときはもう、精神的にどん底を味わいましたね。みのさんがイチからつくり上げてきた番組を私が終わらせてしまったという喪失感、情けなさ、悔しさ……。
いろいろな感情が綯い交ぜになっていましたが、アナウンサーとしてカメラの前に立ったら、そんな感情を顔に出しちゃいけない。あの当時のことは、正直、いま思い出しても、ちょっと……。うん、言葉が出てこないな。
ずっと、そんなことの繰り返しなんです。だから、アナウンサーとして働いてきたこの15年間も、常に地べたを這いつくばっているような気分でした。自分の思い描いていたような姿には全然なれていないし、37歳のいま、ようやくスタートラインに立てたな、という感じです。