ギリシャのミリンダ王と
インドの仏教僧ナーガセーナとの対話
ギリシャ人がヘレニズムの時代に豊かな東方の文明と融合した記録が『ミリンダ王の問い──インドとギリシアの対決』(中村元・早島鏡正訳、東洋文庫、平凡社、全3冊)という書物に残されています。
アレクサンドロス大王の死後、シリアからイランにかけての広大な領土を支配していたギリシャ人のセレウコス朝から、BC3世紀にバクトリア王国が独立しました。
やはりギリシャ人の国でした。
バクトリアはさらに東進して、インドの西北地方(現在のパキスタン)へと進出し、インド・グリーク朝(BC2世紀-BC10頃)を開きます。
その8代の王がメナンドロス1世(インドでの呼称はミリンダ。在位BC155頃-BC130頃)ですが、その時代の話です。
本の内容はミリンダと、インドの仏教僧ナーガセーナとの対話です。
ナーガセーナは上座部仏教の、長老格の僧であったと推測されます。
ミリンダがさまざまな質問をナーガセーナに投げかけ、彼が回答するという形式で書かれています。
本の中心は仏教の輪廻や業(カルマ。果報を生じる因のこと。善や悪の業を行うと、因果応報によって、それ相応の楽や苦の報いが生じる)のことなのですが、とてもおもしろい問答が登場します。
たとえば、ある男が朝からずっと火を燃やしている。
その燃え続ける炎は、朝と昼と夜と同じ炎だろうか、別の炎だろうか?
ナーガセーナの答えは、同一でも別ものでもないというのです。
これは「テセウスの船」の命題(→『哲学と宗教全史』321ページで紹介)ですね。
ギリシャ人のミリンダは、プラトンやアリストテレスなどギリシャの哲学者たちの学説について、ある程度の知見を持っていたと思います。
『ミリンダ王の問い』は、ギリシャ哲学と原始仏教の接触でした。
会話はギリシャ語(コイネー)で行われたのでしょうか。
そういうことも興味のある点です。
そして、ミリンダは仏教に興味を感じ、仏教徒になったと伝えられています。
ヘレニズムについて一般的にいわれることは、コイネーという話し言葉のギリシャ語がリンガ・フランカ(国際語)になったとか、ミロのヴィーナスがヘレニズム芸術の代表であるとか、西洋の主導性ばかりが強調されがちです。
しかし『ミリンダ王の問い』のような例もあり、東西の高度な文化、文明が融合した本当の意味でのグローバリゼーションが存在したのは事実でした。
『哲学と宗教全史』の第6章では、東西のヘレニズム時代を取り上げました。
人口に広く膾炙(かいしゃ)した偉大な哲学者も宗教家も登場しない、一見、地味な時代でしたが、東西の世界に今日まで残る確かな足跡を残してきたのが、この時代であったと思います。
逆に今の世界を生きる我々があまり進化していない、ということでもあるのですが。
『哲学と宗教全史』では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を、出没年付きカラー人物相関図・系図で紹介しました。
僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。
(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)