自分も他者も破滅させる計画が
実行されてしまった謎

 2022年1月下旬、筆者は大阪市北区を訪れた。どうしても、現場がまだ「現場」であるうちに自分の目で確認しておきたかったからだ。

 火災現場となった北新地ビルは、「事件当時、そのフロアに30人程度の人がいた」ということが信じられないほど小さかった。周辺はオフィス街だが、企業のオフィス・飲食店・語学学校・アダルトグッズショップなどが混在している。裏通りには、新宿・歌舞伎町と似た「新地」の風景が広がる。心療内科クリニックを含めて、働きざかりの人々が必要とする可能性のあるサービスは全て提供されているイメージだ。

 黙祷をささげ、T氏が12月17日に自転車でたどったと思われる経路を逆にたどる。東京で言えば新宿駅から杉並区高円寺までの距離感だが、北新地から1km程度離れると急激に風景が変わり、賑わいが消える。平日の午後なのに、通行人とすれ違うことは少ない。幼稚園児を連れた若い母親たちの姿が時折見られる程度だ。大通りを進むと、URの大規模団地や清掃工場の近辺にさしかかり、人影はさらに減る。

生活保護があっても、北新地ビル放火殺人事件を止められなかった理由T氏自宅

 冷たい風に吹きさらされながら淀川を渡ると、堤防のすぐそば、海抜0メートル前後の地域に木造住宅が密集している。その一つが、T氏の最後の住まいとなった西淀川区の集合住宅だ。近隣住民はT氏が住んでいることを認識していなかったようだが、地域そのものから、人の気配が薄い感じを受けた。

 事件の背景の一つは、T氏の生活環境にもあったのではないかと思われる。破滅的な欲求を抱くことは誰にでもあるけれども、実行されることは極めて少ない。しかし、生活に困窮して角打ちや「センベロ」での小さな社交を失い、孤立を募らせると、地域の無料の社交の場に近づく気力も湧かないだろう。人と出会う機会が少ないと、偶然が好作用する可能性も減る。そのような状況は、破滅的な欲求に対するブレーキを機能させにくくする。