「坊薗さんに誘われたというか、最初は無理やり試合に連れていかれたというか。全然気が進まなかったんですけど、とにかくやってみよう、と。最初の試合はキックオフの笛を吹いて、時間を計って、試合終了の笛を吹くことしか考えていなかったんですけど、それを終えるともっとこうしたい、という気持ちが芽生えてきて。試合ごとにそういうものが、どんどん積み重なってきた感じですね」

 審判員にも魅力を感じ始め、4級から3級、そして日本サッカー協会(JFA)が主催する全国レベルの試合で副審を担当できる2級審判員の資格を取得したときに、社会人チームで続けていた選手との二刀流から1つに絞った。当時の心境を、山下さんは「責任」を介して振り返っている。

「女子のトップリーグに関係できる責任の重さを感じたこともあり、2級審判員になるのであれば、しっかりと審判という仕事に向き合わなければいけない、という気持ちが芽生えてきました」

 2012年になでしこリーグの主審を担当できる女子1級審判員の資格を取得した山下さんは、JFAの推薦を受けて15年に国際サッカー連盟(FIFA)の国際審判員として登録された。

澤穂希の引退試合で主審
女子サッカーの力を感じた

 FIFAが主催するU-17女子ワールドカップや女子ワールドカップに加えて、男性がプレーする大会として国内で全国高校サッカー選手権大会、アジアではACLに次ぐ大会となるAFCカップで審判を務めた山下さんは、キャリアを積み重ねた過程で今も忘れられない試合を経験した。

 レジェンド澤穂希さんの現役最後の試合となった、15年12月27日の皇后杯全日本女子サッカー選手権決勝。2万人を超える大観衆が駆けつけた等々力陸上競技場で、注目された澤さんの決勝ゴールでINAC神戸レオネッサが頂点に立った劇的な一戦の主審が山下さんだった。

「自分の転機になったかといえば違うかもしれませんが、本当にたくさんの方が見に来てくださったあの試合がとにかく印象に残っていて。ピッチに立って周囲を見回したときに、女子サッカーでこれだけの注目を集められるんだ、人の心を動かせるんだ、という力を感じました」

 主審という仕事にさらなるやりがいを覚えた山下さんは、それでも「男性の試合も裁こうとは、特に考えなかったんですけど」と苦笑しながら、19年12月のJFA理事会で認定された、Jリーグを含めた男子社会人の試合で主審を務められる1級審判員資格をこう振り返った。

「フィジカル面では維持させるよりも向上させることを常に考えてきましたし、技術面や座学による勉強面も含めて、全てを向上させたい、と取り組んできたその先に男性の試合を担当できる選択肢があったというか。結果として、Jリーグを担当する機会があった感じでしょうか」

昨年Jリーグの主審に
これまで通りのスタイルを貫く

 20年は“4部”に当たるJFLで経験を積んだ。迎えた昨年1月。59人からなるJリーグ主審リストに初めて名を連ねた山下さんは、前述した5月16日に歴史の扉を開いた。

 もっとも、主審として目指していくスタイルは、資格がどんどん上がっても全く変わらない。決して目立たず、それでいて両チームにストレスを感じさせない秘訣(ひけつ)を山下さんはこう説明する。