3番目は服部克久さん(作曲家、1936-)。デビュー前の1984年、本田さんは高校2年生(17歳)のときに長崎歌謡祭でグランプリを受賞する。そのときの審査委員が服部さんだった。その後、「Music Fair」(フジテレビ)などのテレビ番組やオーケストラのコンサートでたびたび共演している。

 「(略)ミュージカルの分野で本田美奈子の名前は今やすっかり確立されました。ミュージカルだけではなく普段の歌手活動でも音域が広がったこともあいまって色々なジャンルの曲を歌えるようになったことは、これからの美奈子の活動にとってものすごい大きな宝物だと思います。先日(2000年6月)、オーストラリアはシドニーのオペラハウスで日豪親善コンサートが有りました(連載第17回参照)。(略)なんと美奈子は自分のレパートリーのほかに、プッチーニ作曲の歌劇『蝶々夫人』からアリア『ある晴れた日に』を歌ってしまいました。(略)満場の聴衆から大きな拍手を頂きました。(略)オペラのアリアともなればそう誰にでも簡単に歌える訳ではなく、やはり長年の歌唱練習と美奈子のガンバリ精神有っての成果でした。(略)」(服部克久「チャレンジを続ける美奈子へ」(「本田美奈子15周年リサイタル 歌革命」パンフレット、2000)

 最後は宮川泰さん(作曲家)。アイドル時代から知り、オーケストラのコンサートでもたびたび共演している。「ある晴れた日に」を宮川さんの指揮で歌ったのはこの1年前の1999年11月で、そのときの様子は連載第15回で紹介したので違う部分を引用する。

 「(略)会うごとにどんどん、どんどん大きくなっていく(童顔と極細体型は関係ない)。表現力の凄さには脱帽。映画『パッセンジャー』(1987年)で三田村邦彦と共演した美奈子は、アイドル歌手のイメージを拭い去り、役者と本格派歌手の二つの才能をみごとに観客に納得させた。(略)特に、鈴鹿サーキットでのコンサートのシーンの歌唱の素晴らしさに感嘆したのも懐かしい。(略)普通、並のポップス歌手では到底務まらない筈のミュージカルの世界でも(略)、見事に大役をやり遂げた。その『ミス・サイゴン』で聞かせた歌唱力の広がりの素晴らしさには唖然とするばかりであった(誉め過ぎ…)。NHKの『ときめき夢サウンド』にも出演してくれた美奈子の歌唱力の初々しさと大人になった表現力も素敵だった。彼女は、歌詞の心を訴え、メロディの美しさとリズムの呼吸のそれぞれを正確に丁寧に、暖かく伝えることの出来る得がたい歌手だと信じている。(略)」(宮川泰「誉め過ぎかな…」「本田美奈子15周年リサイタル 歌革命」パンフレット、2000)

 宮川泰さんも服部克久さんも、プッチーニをスコア通りに歌う本田美奈子さんに驚愕しているのは、作曲家であるからこそオペラ・アリアの歌唱技術の難しさをよく知っているからである。

 第2部開始のベルが鳴った。客席にもどろう。

クラシックはアンコールに

第2部

⑫Overture~殺意のバカンス……売野雅勇、筒美京平(1985)

 ベージュのゆったりしたパンツスーツで登場。

 「シングルをこれまでに24枚出しました。次はシングルのメドレーですが、半端じゃないですよお!」(本田美奈子さん)