キリスト教が国教化された大きな影響

 コンスタンティノポリス公会議を召集したテオドシウス1世は、キリスト教会の教義を巡る論争に一応の決着をつけると、キリスト教をローマ帝国の国教と定めました(392)。

 それ以外の宗教を厳しく禁圧したのです。

 テオドシウス1世がこのような決断をしたのは、北方からの諸部族の侵入によってローマ帝国の支配網(ローマ街道やローマ軍団の拠点)が、寸断されたからです。

彼はキリスト教が、その布教活動のためにローマ帝国の全域に張り巡らした教会組織を、そのまま帝国の統治機構として利用することを計算したのだと考えられています。

 もちろん、彼もキリスト教の信者だったのでしょう。

 そして、テオドシウス1世の決断に誘い水をかけた人物が、ミラノ教会の司教アンブロシウスでした。

 一つの宗教が国教になると、大きな権力を獲得します。

 このときからギリシャの多神教の神々はルネサンスまで長い眠りを強いられ、ギリシャの神々に捧げる祭典、古代オリンピックも禁止されました。

 付言すると、コンスタンティヌス1世が帝国の首都をコンスタンティノープルに移した頃から、キリスト教の5大本山ともいうべき5つの教会が成立します。

 コンスタンティノープル教会、アンティオキア教会(シリア)、エルサレム教会、アレクサンドリア教会、そしてローマ教会です。

 三位一体説を巡る論争で主役になったのは、東側の4つの教会が中心でした。

 ローマ教会はすでに帝国の首都の教会ではなくなり、人口が減少した草深いローマにあって、ただイエスの一番弟子と伝えられるペテロの墓所の上に建つ教会なのだという伝承だけが、支えとなっているような状態でした。

 『哲学と宗教全史』では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を、出没年付きカラー人物相関図・系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)