ネストリウス派は現在も健在
けれど三位一体説の人々は、その踏み込みを拒否したのです。
こんな頭の堅い連中と一緒にはやっていられない、とネストリウス派の人たちは考えたのかもしれません。
彼らはローマ帝国を出て東方に向かい、現在のトルコからイラン、そして中央アジア全域で信者を獲得していきました。
チンギス・カアンの孫で、大元ウルス(モンゴル帝国)を開いたクビライ(在位1260-1294)の母も、ネストリウス派の信者でした。
彼女はモンゴル高原のトルコ系遊牧民の出身です。
クビライの誕生が1200年代、エフェソス公会議の開催が431年でしたから、800年以上も後の話です。
ネストリウス派は、中国にも唐の太宗の時代(7世紀前半)に伝わり、景教と呼ばれ、大秦寺という名称の教会を各地に建立しています。
ネストリウス派は現在でも健在です。
ティグリス川上流地域に総本山があったので、地域の名称によって、アッシリア東方教会と呼ばれています。
『哲学と宗教全史』では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を、出没年付きカラー人物相関図・系図で紹介しました。
僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。
(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)