自らのまなざしから始まる
コスト0円の未来への投資
西成区に住む重江さんが看過できない問題の一つは、生活保護で暮らす人々が、しばしば「ネット炎上」の対象となることだ。表層的な激しい非難をぶつけられ、飽きられ、忘れられる。非難の論理の正体は、「『最低生活保障』という権利ばかり主張し、『自立』への努力という義務を果たしていない」という思い込みだ。その思い込みの中で、「自立の助長」は「就労支援」を指す用語に変質してしまっている。
「炎上の繰り返しの中で最も痛めつけられているのは、『当事者』と呼ばれる人たちです。社会の構造や根本にある問題を、今後も皆さんと一緒に考えていきたいと思っています」(重江さん)
2020年3月、コロナ禍の下で学校が一斉休校となった。4月には、緊急事態宣言が発出された。しかし「子ども夢パーク」は、通常どおりに開所された。そこには、「貧」と「困」への想像力があった。
「目的の一つは、子どものSOSをキャッチすることです。休校が続き、親は仕事が減ったりなくなったりしていました。だから『居場所を閉めてはいけない』と思いました」(西野さん)
居場所がSOSをキャッチできれば、目先の「貧」や「困」を少しだけ解消することはできる。食事が取れていない親子に食料を渡せば、行政が動くまでのつなぎになる。こんな居場所があれば、毎日の暮らしの安心感は増すだろう。居場所は欲しい。けれども、作る意欲はない。まことに身勝手な私に、西野さんは穏やかに語る。
「居場所へのまなざしがあれば、居場所はできます。たとえば、近所の公園の禁止事項を減らすとか、地域の公民館で無理なく居場所活動を始めてみるとか。奪わない場、挑戦できる場は、誰にでもいつでも作れます」(西野さん)
生活保護制度の先行きは不透明だが、制度利用者の居場所へのまなざしなら誰にでも持てるだろう。そのまなざしは、生活保護を「権利」にするまなざしだ。自分自身が困難に直面したとき、自己責任論から自分を守ることにもつながる。目に見えない小さな変化の蓄積が政治や行政を動かす可能性を捨てるのは、まだ早い。
(フリーランス・ライター みわよしこ)