鼻にできた腫瘍の内視鏡手術で、「日本一」といわれる技術力を持つ医師がいる。耳鼻咽喉科医の大村和弘さん、42歳。東京慈恵会医科大学の耳鼻咽喉科に所属し、鼻や頭蓋底の手術を専門とする外科医として国内トップに上り詰めた名医だ。
大村さんを“特別”な存在にしているのはそれだけではない。彼は、ライフワークとして10年以上にわたって東南アジアへの技術支援活動を続けてきた。その姿を追ったドキュメンタリー映画「Dr.Bala」は、世界中の映画祭で注目を集めている。
しかし、医師になって4年目で活動を始めた当初は、日本とは全く違う医療環境に苦労が絶えなかったという。そんなアウェーな環境に身を置きながらも現地に溶け込み、コンプレックスだった「人付き合いが苦手」な自分の“殻”を破った大村さん。どうやって自身と向き合い、成長につなげたのか。話を聞いた。(構成/安藤 梢)*ミャンマー語で「Bala」は力持ちの意味。

「教わる」姿勢のない人は、「教える」ことができないネパールでの診療の様子

劣悪だったミャンマーの医療環境

 大村さんが、ミャンマーを中心に東南アジアで支援活動を行うNPO法人ジャパンハートのメンバーとして、初めて海外協力活動に参加したのが2007年。ミャンマーの都市部から離れたへき地にある病院で、医療活動がスタートした。

 いざ病院に行ってみると、その環境は最悪なものだった。手術中に停電するのは日常茶飯事。ネズミがコードをかじって機械が壊れたり、蛇口をひねると泥水が出てきたり、ガーゼは水を弾くような粗悪品だったりと、設備が整った日本では考えられないような光景が目の前に広がっていた。

「日本ではもちろん新品の糸を使って手術をしますが、向こうでは、羊の腸で作った糸を使っていたり、使わなかった糸は次の手術に残しておいて使っていたんです。そうすると、糸から感染してしまって、縫った傷口が思いっきり開いてしまう。その日に手術した患者さん全員の傷口が開いてしまったこともあります」

 麻酔の品質も安定していなかったので、手術前には自分の舌の上に少しだけ垂らして、痺れるかどうかで効き目を確かめていたという。点滴をした瞬間に、患者が寒気と震えを引き起こしたこともある。そのときは、点滴のボトル内で細菌が繁殖していたのが原因だった。

「点滴のボトルから感染を起こすなんて、日本では絶対に考えられません。でも、その考えられないようなことが当たり前にある。だから、常に『なぜそうなるのか』を想像しながら、治療しないといけないんです。これは大変なところに来てしまったな‥‥と思いました」

 しかし、その過酷な状況で海外協力活動が嫌になったかというと、「めちゃくちゃ楽しかったですね」と大村さんは明るく笑う。

「だって、自分が行きたくて行っているから。つらいこともありましたが、それも含めて体験できたのが嬉しかったですね。ここを乗り越えたら、また次のステップが見えてくると思ってやっていました」

「教わる」姿勢のない人は、「教える」ことができない寺院の境内にある宿舎で日本人スタッフたちと共同生活(後方右端が大村さん)