「閉鎖的なコミュニティ」に
どうやって溶け込むか?
日本からミャンマーに支援活動に行った医師たちが、必ずしも現地のスタッフから歓迎されるわけではない。そもそも派遣された病院は、観光客が入れないような地域にある。それだけに、外国人に対して閉鎖的なのだ。実際、ミャンマー人の医療スタッフは、病院長から「あまり日本人と仲良くするな」と言われているような状況だった。
「ミャンマー人のコミュニティには立ち入ってほしくない、と思われていたのだと思います。でも、僕はその地域にどんな人たちが住んでいるのかを知って、現地に溶け込んで医療を実践したかったんです」
そこで大村さんがとった行動は、とにかく地域の人々の生活に入り込むこと。村に2軒しかない飲食店に毎日のように通い、朝昼晩と食事をする。その店で、現地の人たちがよく飲むラペイエという紅茶を大きな容器で頼み、病院のスタッフたちに振舞ったりもした。食事はミャンマー人と同じように手で食べ、雨が降れば外に出て髪を洗った。
そんな「現地に溶け込みたい」という努力が行き過ぎてしまこともあった。今では笑い話になっているこんなエピソードがある。
「ミャンマーに入ってすぐ、都市部のヤンゴンに滞在していたときに、毎日のように通っていたカフェで歌を歌ったら、警察に通報されてしまったんです」
当時のミャンマーでは、市民に対する政府の厳しい取り締まりがあり、5人以上集まればスパイだと疑われてしまうような状況だった。そこで、突然、日本人が歌を歌い始めたのだから、「何か企んでいるのではないか」と疑われたのである。
「さすがに捕まることはなかったのですが、ミャンマー人のスタッフが片道8時間かけて政府機関まで謝りに行ってくれて。申し訳ない思いで、肩身が狭かったです」
明るい大村さんの周りには、いつも人が集まる。このときからギターを弾いて歌うのが、東南アジアでの大村さんの定番スタイルになっている。