全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』(ワークマンパブリッシング著/千葉 敏生訳)がダイヤモンド社から翻訳出版され、好評を博している。本村凌二氏(東京大学名誉教授)からも「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」と絶賛されている。
世界史を揺るがすほど影響力の大きい歴史人物は、暗殺によって命を奪われてしまうことがある。暗殺は特定の目的をもって遂行されるものだが、暗殺後に歴史がどう変化したかは意外と知られていない。『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』では、キーパーソンだったがゆえに、暗殺によって生涯を閉じた歴史人物たちも数多く登場する。そのなかから今回はローマの英雄カエサルをピックアップする。はたしてカエサル暗殺後、ローマはどんな時代を迎えたのか。著述家・偉人研究家の真山知幸氏に寄稿していただいた。

【暗殺の世界史】英雄カエサルの「暗殺」でローマに起こったパニックとは?Photo: Adobe Stock

古代ローマにおける最大の英雄

「ブルータス、お前もか」

 紀元前44年3月15日、ユリウス・カエサルが暗殺される前に放ったとされる言葉はあまりにも有名だ。

 カエサルは、共和政ローマ末期の政治家で、平民派の将軍として台頭する。ガリア遠征でその名を馳せて、敵対する元老院やポンペイウスにも勝利。

 ローマを支配し「古代ローマにおける最大の英雄」とも称された。英語読みで「シーザー」と呼ばれることもある。

共和政で最重要の決議機関

 その日、カエサルはポンペイウス劇場へと向かっていた。劇場の東側にある大回廊で、元老院会議が開催されるためだ。元老院とは、貴族から選出される終身議員によって構成されたもの。もともとは、諮問機関だったが、共和政では最重要の決議機関となっていた。

 会議に出席しようとしたカエサルを場内で待っていたのは、元老院のルキウス・ティリウスキンベルである。ルキウスはカエサルに、国外追放された兄の恩赦を求めたが、「私の考えは変わっていない」と突き放されてしまう。

【暗殺の世界史】英雄カエサルの「暗殺」でローマに起こったパニックとは?

暗殺の合図は「懇願」

 そんなカエサルにルキウスが「どうかお願いします」と食い下がり、カエサルのマントを乱暴に引き寄せた。これが合図だった。

 あっという間に取り囲まれたカエサル。背後から護民官のカスカが短剣で首を突き刺した。抵抗を見せたカエサルだったが、あちこちから手が伸びて来て、めった刺しにされてしまう。

 両腕、脇腹、背中、胸……あらゆる場所が狙われた。カエサルの遺体には23ヵ所もの刺し傷があったというから、すさまじい。

 死ぬ間際に必死の抵抗のなかで、カエサルが目にしたのが、信頼するブルータスだったのだろう。冒頭で紹介した言葉を吐いて、55歳でこの世を去ることになった。

2人のブルータス

 実は、20~40人いたともされる暗殺者のなかに、ブルータスは2人いた。カエサルが口にした「ブルータス」とは、どちらなのか。腹心の1人で元老院議員のマルクス・ユニウス・ブルータスだという説が有力だ。

 だが、もう一人のデキウス・ブルータスも、カエサルからひそかに第2相続人に選ばれている。カエサルが最期に「お前もか」と口にしたとすれば、そのブルータスはどちらだったのか。はっきりした答えは出ていない。

カエサルが暗殺されたワケ

 ただ、一つ確かなのは、カエサルの暗殺によって、政治的な混乱が引き起こされたということだ。

 カエサルが暗殺されたのは、その独裁政治への不満が高まったからにほかならない。カエサルは30代の頃は無名だったが、40歳で三頭政治家として頭角を現していく。

 暗殺される1ヵ月前には、終身独裁官に就任している。カエサルに権力が集中する様を見て、議員たちの間で、じわじわと不安が広がっていった。

暗殺者たちの叫び

 カエサルは共和制を葬り去って、王政への回帰をもくろんでいるのではないか。専制君主であるカエサルさえ亡きものにすれば、独裁政治にピリオドが打たれて、以前のような共和制に戻るはず――。

 そう考えた共和制を守りたい議員たちによって、暗殺は実行に移された。暗殺者たちは、外に出たときに、市民たちにこう叫んだとも言われている。

「あなたたちは自由だ、専制君主は死んだ!」

暗殺後も独裁は変わらず

 だが、カエサルが死んだことで内戦が勃発。結局は、カエサルの部将アントニウスと、カエサルの養子オクタウィアヌス、そしてかつてカエサルの補佐官だったレピドゥスの3人が統治者となり、「第2回三頭政治」と呼ばれる政治体制がスタート。実に紀元前33年まで続くことになる。

 カエサルが暗殺されたあとも、10年にわたって、やはり一部の統治者による専制政治が行われることになった。暗殺の動機に理解を示していた政治家のキケロですら、友人にこう嘆いたと伝えられている。

キケロの嘆き

「専制君主が死んだというのに、専制政治は生き残っているではないか!」

 キケロはカエサルの独裁に脅威を感じつつも、暗殺計画に携わらなかった。その理由は明確である。

「この計画は、大人の勇気と子どもの知恵をもって実行に移された」

暴力で社会が良くなることはない

 気に食わない人物がいるからと暴力で排除したところで、社会が良くなることはない。カエサルの暗殺はそのことを教えてくれている。

 だが、カエサルを亡き者にした暗殺者たちのような思考は、現代社会でもはびこっている。社会に不満を持ち始めると、誰かにその責任を求めたくなるのが、私たち人間の特性なのかもしれない。できることならば、キケロのような冷静な視点を持ちたいものだ。

世界史を学習することの意味

 世界史の学習は、まさに降りかかる出来事を俯瞰して見られるだけの大きな視点を持つこと。混迷を迎える今だからこそ、世界史を通じて、先人たちの経験に今一度目を向けてみてはいかがだろうか。

【暗殺の世界史】英雄カエサルの「暗殺」でローマに起こったパニックとは?

【参考文献】
プルターク『プルターク英雄伝』(河野与一訳、岩波文庫)
キケロー『義務について』(泉井久之助訳、岩波文庫)
スウェートーニウス『ローマ皇帝伝』(角南一郎訳、現代思潮社)
フィリップ・マティザック『古代ローマ歴代誌 7人の王と共和政期の指導者たち』(本村凌二監修、東真理子訳、創元社)
リンゼイ・ポーター『暗殺の歴史』(北川玲訳、創元社)