なぜ「満洲」と呼ばれるようになったか?

 中国における密教の発展は、現代の北京にも名残りを留めています。

 大都(北京)を建設したモンゴル世界帝国の大元ウルスが、チベット仏教を受容したからです。

 さらに中国最後の王朝となった満洲族の清も、チベット仏教を受容しました。

 ちなみに満洲とは密教における知恵を司る菩薩、文殊(菩薩)から採った名称です。

 文殊は世界の東方を司る菩薩なので、中国の東方に住んでいた自分たちの一族を、文殊(サンスクリット語ではManjuマンジュ)と呼び、その発音に合わせて満洲と書いたのです。

 このような由来から、北京にある寺院のほとんどはチベット仏教の密教寺院となりました。

 仏教の発展の歴史は密教の登場で完成します。

 なお、インドではイスラーム教が入ってきたときに、寺院が破壊されて仏教は滅びました。

 インド仏教が大衆に根を下ろさず、都市部のインテリ層の宗教であったからです。

 外敵が侵入してきたときに、真っ先に叩かれるのはどこの国においても、大衆の上にいる支配層と彼らを支持するお金持ちや知識階級です。

上座仏教→大乗仏教→密教

 ところで、仏教の発展過程と、東南アジアへ広く流布していったプロセスは一致しませんでした。

 誕生の順番からいえば、上座仏教、大乗仏教、密教です。

 しかし流布した過程は、第1波が紀元前後で、大乗仏教が中央アジアからシルクロードを経由して、中国に入りました。

 第2波が7世紀頃で、密教によるチベットへの布教。

 そして、モンゴルや満洲へと拡がりました。

 第3波は11世紀、上座仏教がスリランカからミャンマー(ビルマ)に伝わったときでした。

 11世紀にミャンマーにパガン朝(1044-1299)が成立したとき、新しい君主は旧支配層が帰依していた大乗仏教ではない新しい仏教を求めました。

 そしてスリランカで信仰されていた上座仏教を、ミャンマーに導入したのです。

 そしてこの上座仏教は13世紀に、タイやカンボジアに伝わりました。

 考えてみると、仏教は不思議な宗教です。

 誕生の地インドにはほとんど面影を残さず、大乗仏教や密教がわが国や中国、チベットの地で栄えています。

 そして一番古い上座仏教が、東南アジアでがんばっています。

 その東南アジアが、一方では世界で最もイスラーム教徒の人口が多い地域になっています。

 そして東南アジアのGDP(国内総生産)は、着実に上昇中です。

 イスラーム世界のこれからの動勢を考えるとき、中東の混乱だけに注目するのではなく、東南アジアの宗教の現状を注視していくべきだと思います。

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 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

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