「革新自治体」の政策を
自民党にコピーされた過去

 私はかつて、社会民主党の政審会長だった伊藤茂氏とお会いしたことがある。伊藤氏は、「戦後、農地改革以降の経済政策は、全部革新が考えた。それを、保守政権がカネを付けて実行した」と自慢げに語った。

 ここでいう「革新」とは、1960~80年代にかけて全国に誕生した、野党、労働組合、住民団体などに支持基盤をおいた首長が率いる「革新自治体」を指す。

 具体的には、蜷川虎三知事時代の京都府、美濃部亮吉知事時代の東京都、長洲一二知事時代の神奈川県、飛鳥田一雄市長時代の横浜市などである。

 革新自治体は高度成長期に起きた、公害などの都市問題に取り組む住民運動の高まりの中で誕生した。そして、福祉・公害規制などで新しい政策を生み出した。

 しかし、自民党政権はその成果を自らのものとした。環境庁を発足させ、「福祉元年」を打ち出したのだ。そして、革新自治体が実行した環境政策や福祉政策を「国の政策」とし、予算を付けて、全国の自治体で一律に実施したのである。

 この流れが近年も続いているのは前述の通りだ。「女性の社会進出」「子育て支援」「LGBTQをはじめとするマイノリティーの権利拡大」など、安倍政権期に次々と実行された政策は、元々野党が先行して取り組んでいたものだ。

 前原誠司・民進党代表(当時)が打ち出した「消費増税による教育無償化」と酷似した政策を、安倍首相が2017年総選挙で自民党の公約にしてしまったのは記憶に新しい。

 そしてこの政策は、選挙に大勝した安倍政権によって実行されてしまった(第169回・p3)。

 この連載では、野党が考案した政策を、予算を付けて実行してしまう自民党のしたたかさを高く評価してきた。

 自民党は、英国の二大政党「保守党」「労働党」を合わせたような、政策的になんでもありの柔軟性と幅広さを持っている。それによって自由民主主義国では最長の長期政権を築いてきた。まさに最強の「包括政党(キャッチ・オール・パーティー)」なのである(第218回)。

 一方で、フェアに指摘したいのだが、野党が時代の変化を先取りして、革新的な政策に取り組んだことも軽視できない。野党が、政策的に自民党をけん引した部分は確かにあった。「保守」と「革新」の日本的な関係が機能してきたのだと、一定の評価をしたいのだ。

 今後、こうした役割を果たす野党は再び現れるのか。また、前述した「支持率下落の3要因」以外に、「最強の包括政党」である自民党に死角はないのか。

 これらの論点を整理するため、ここからは岸田政権の政策面の課題について考えていきたい。