【お寺の掲示板103】人間関係の苦しみは比べることから始まる超覚寺(広島)  投稿者:chokakuji [2022年8月22日] 

人の悩みの多くは、人間関係から生じます。孤独と疎外、他者と比べることでの劣等感。生きづらさの根底には、「偉い」を基準に比較する心情が横たわっています。お釈迦さまが摩耶夫人より生まれいでたときに発したという言葉に、解決の糸口がありそうです。(解説/僧侶 江田智昭)

「天上天下唯我独尊」の本当の意味を知る

 お寺の掲示板大賞の常連である超覚寺の掲示板です。実は昔からこの言葉は、さまざまなお寺の掲示板にたびたび登場していました。1人だと孤独感、2人だと劣等感、3人だと疎外感。それぞれのシチュエーションの中で、人間が陥りやすい心情を実にうまく表現しています。

「孤独感」「劣等感」「疎外感」は、いずれも自分の心が作り出した“妄想”です。それらの妄想に振り回され、自分自身のことを不幸だと感じる人は世の中に大勢いらっしゃることでしょう。これらの“妄想”は、人生にとって無駄なものと言ってもよいものですが、どんな人でも、多かれ少なかれこのような感情にとらわれることがあるのではないでしょうか?

 この三つの“妄想”は同じく「自分と自分以外の他者との比較」から主に発生します(「他者との比較」については以前「となりのレジは早い」という掲示板でも言及しました)。この「比較」の思考が、心に強く染みついている人ほどこれらの“妄想”が大きくなり、自分自身を不幸だと感じてしまうのです。

 仏教には「慢」という煩悩があり、これは「他者と比較して思い上がること」を主に指します。また、「慢」には「他者と比べて、自分を卑下しながら自慢する」という「卑下慢」というようなものもあります。これらはすべて「他者との相対的な比較」の中で生まれる煩悩ですが、このような煩悩と私たちはどう向き合っていくべきなのか。

 そのヒントは、お釈迦さまが生まれた直後に発せられた「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という言葉にあるのではないかと思います。非常に有名な言葉なので、ご存じの方も多いことでしょう。

 これは、「世の中でただ私だけが尊い」という思い上がった言葉として解釈されることが多いようですが、決してそうではありません。他者と比較することから離れて、「自分と自分以外の者のいのちはすべて尊い」ということを意味した言葉です。つまり、私たち一人一人はただ生きているだけでそのまま尊い存在なのです。このことを忘れてはなりません。

 ちょうど前回の連載で、安田理深師の言葉を紹介しました。安田師は、「人間は偉いものではない、尊いものです」という言葉も残されています。「偉い」とは他者との相対的な比較の上での概念ですが、「尊い」とは比較を超えた絶対的なものであり、人間はまさにそのようなものであると言っているのです。これは、「天上天下唯我独尊」と共通した意味の言葉だと言えます。

 わたしたちは、しばしば他者を肩書・容姿・能力・学歴などで判断してしまいがちです。それらはまさに相対的なもの(「偉い」)であり、自分に対しても「偉い」目線で見ることによって、自信を喪失し、「孤独感」「劣等感」「疎外感」などが生まれてきます。結局のところ、これらの感情に心を支配されやすい人は、自分自身もしくは他者の存在に対してのリスペクト(尊い)目線がどこかで欠けているのです。

 ですから、自分も含めたすべてのものを「偉い」という相対的な目線で判断するのではなく、「尊い」という目線で見つめることが大切だと言えます。天上天下唯我独尊。「自分自身も含めたすべてのものが、かけがえのない尊い存在である」と認識することができれば、心が比較の思考から離れ、三つの悪感情から少しは解放されるのではないでしょうか。