圧倒的な才能があるわけではなく第一志望の高校にすら落ちた主人公・小野田が青春の全てを賭けて数学オリンピックを目指す――そんな漫画『数学ゴールデン』が、いま多くの大人たちを虜にしています。
その著者・ 藏丸竜彦氏と、『大人のための数学勉強法』でデビューし、近年では『とてつもない数学』がヒットした永野裕之氏との対談が実現。漫画と文章で数学のおもしろさを伝えようとする2人の会話は、漫画談義・数学話が好きな人にはたまらないものになりました。(構成:田中裕子)
数学ができる人ほど共感する「エンジェルポジション」
永野裕之(以下、永野) いやあ、『数学ゴールデン』、おもしろかったです! スポ根のような数学漫画で、最新刊まで一気に読みました。「数学あるある」が詰まっていたり、ただ数学に夢中なヒロインの七瀬が主人公より才能があったり、最新刊では「数学甲子園」も出てきたりと、続きが気になります。
……あの、いきなりですが、『数学ゴールデン』のいちばん好きなシーンについてお話ししてもいいですか?
藏丸竜彦(以下、藏丸) わ、ありがとうございます(笑)。
永野 3巻の終盤の……(ページを開いて)問題の壁にぶつかって悶え苦しんでいた主人公が、「そうか!」とひらめく瞬間です。この「大局観(エンジェルポジション)」という描写。ここを見て、「まさに!」と興奮しました。
藏丸 おお、うれしいです。ここ、担当編集には「ちょっとダサいのがいい」って言われるんですが(笑)。数学ってむずかしいイメージが強いので、ちょっとバカっぽさも入れた表現でとっつきやすくできたらなと。
永野 いえいえ、ダサくないですよ! このポジションを取れる人こそ、「数学ができる人」なんですよね。虫の目を使ってぐっと近づいて問題を精査する目も必要だけど、それだけだと行き詰まってしまう。やっぱりどこかで、鳥の目で俯瞰する時間が必要で。
まさに小野田にもそういうシーンがありましたが、お風呂に入ったりリラックスしたりして視点が変わった瞬間、「あ!」とひらめく。あの場面は数学の問題が解ける感動が再現されていて、ちょっと鳥肌が立ちました。
藏丸 ありがとうございます。僕、今回対談するにあたって気づいたんですが、教員時代に永野さんの本『根っからの文系のためのシンプル数学発想術』を自腹で買って、生徒たちに配っていたんです。当時読んだ数学の書籍の中ではいちばんおもしろくて、かつ、不遜ながら僕と考えてることが似てるなと思って……。
永野 ええっ、ほんとうですか? うれしいです。どんなところが似ていましたか?
藏丸 『数学ゴールデン』1巻の最後、七瀬が「mathematics」って言葉の語源は「学ぶこと」だと言うシーンがありますよね。じつはそのときカットしたエピソードに、「それに気づくことがすごい」って話を入れていたんです。
永野 というと?
藏丸 「mathematics」は「数学」という意味の英単語ですが、元々の語源は「学ぶこと」。わたしたちは、数学で数を学んでいるだけでなく、考えることを学んでるんだ。……と、英単語の意味を鵜呑みにせずに、違和感があれば、そこで立ち止まって考えてみる。それを七瀬の特徴にしていて。永野さんの本にも、「数学のコツは覚えないこと」「なぜだろうと考えることが大事」と書いてありましたよね? 結論だけ見るのではなく、そのプロセスを追うことに価値がある、と。
これは決してパクったわけではなく(笑)、永野さんの数学的な発想の仕方や考え方を伝えたいという気持ちにはすごく共感しますし、やっぱり「数学っておもしろいよ」という気持ちで本をつくっている人間として、似るところがあるんじゃないかなと思いました。
永野 それは光栄です。
藏丸 正直、数学ってテーマは漫画としてデメリットだらけだと思っているんです。ぜんぶ紙の上と頭の中で完結するし、動きのある戦闘シーンがあるわけでもないし……。たとえば音楽漫画は、音は聞こえなくとも「聴いて感動する」って共通体験があるじゃないですか。でも数学に感動したことがある人なんてほぼいないわけで、それをどう描けば伝わるんだろうって試行錯誤です。だから理論を図解したり、問題を解くときの脳内をイメージに落とし込んだりして。
永野 どれも「わかるわかる!」ですよ。とくに「群」の考え方を説明するのに、石鹸がくるくる回る描写を用いたのには感動しました。こういう説明ができるのか!って。あれは漫画じゃないと表現できないですよね。
藏丸 ああ、よかったです。先生も数学塾ではああいった図やイラストを使うんですか?
永野 そうですね、ヘタくそですが(笑)。もちろん問題によるけれど、僕の場合、頭の中にイラストや図が浮かんだらその問題はほぼ解けるんです。なかなか解けない問題のときは、的確なイメージが浮かばないですね。
藏丸 なるほど。永野さんほど僕は問題が解ける人間ではないですが、「くっきり見えると解ける」感覚はわかる気がします。僕、数学を視覚的に、かつ立体的に描きたいんですよ。そのためにも、数学的なアプローチをいかにかみ砕いて直感的に伝わるものにするかが、この漫画を描くうえでのがんばりどころですね。
1986年、鹿児島県生まれ。九州大学理学部数学科卒。漫画家を目指しながら、鹿児島にて中高生向けの塾や私立高校の数学講師として3年間勤務した後、上京。2019年9月から『数学ゴールデン』を青年漫画雑誌「ヤングアニマルZERO」(白泉社)で連載開始。数学の面白さを伝えるべく試行錯誤中である。【Twitter】@kuramaru_desu
代ゼミ模試で出会った天才が教えてくれた「数学的センス」の正体
永野 『数学ゴールデン』では主人公の小野田が「数学的センスとはなにか」と考え、数学オリンピックの出場者たちに聞いて回るシーンがあります。藏丸さんご自身は、どのようなものだと考えているのでしょう?
藏丸 うーん……。定義はわからないのですが、ほかの漫画家や編集者とお付き合いしていて感じるのが、論理的に話せる人や筋の通った文章が書ける人は、数学的センスがあるということですね。
永野 わかります! 僕の知ってる数学のできる先輩や先生方は、ひとりの例外もなく高い国語力の持ち主でした。「国語ができるのに数学はできない」という人は多いけれど、それには矛盾すら感じます。
藏丸 「いまこの目で見ている問題」と「まだ見ぬ答え」の間にあるモヤモヤをどう組み立てていくかと、「この順番で書けばしっかり論理が伝わるな」と考えるのはまったく同じ作業ですよね。だから逆に言えば、数学的な思考法を身につけることは、話し方や文章力のトレーニングにもなる気がします。
永野 僕も常々、数学を学ぶことで得られる能力のひとつに「説明力」があると思っています。『数学ゴールデン』1巻で、七瀬が話し言葉丸出しの不格好な答案を書いていて、主人公の小野田が「整理して書け」って教えるシーンがあるじゃないですか。数学を勉強すると、エレガントに説明する、つまり最小限の言葉で最大限に網羅して説明する訓練ができるんです。
永野 その能力は、リアルで人に説明するときも使えます。ぐちゃぐちゃ言っても理解してもらえないことも、きちんと整理して、たとえば場合分けをはっきりさせることでぐっと伝わりやすくなる。資料を作るとき、「同じ情報のレベルは同じフォントサイズ」と対称性をうまく使うのも、じつは数学的思考法です。
藏丸 たしかに、言われてみれば。
永野 説明力をもっと大きく言うと、「表現力」だと僕は思います。数学は「こういう筋道でこう考えた」と言語化できる人が点数をとれる加点法の科目で、これって詰まるところ表現力なんですよね。
いまも覚えているのですが、僕が高校生のとき、代ゼミの模試の数学でものすごくむずかしい空間図形の問題があったんです。僕もちんぷんかんぷんだったんですが、完答できたのは1パーセント以下。でもそのうち、満点を取った人の解答として公開されたのが……なんと、4コマ漫画だったんですよ。
藏丸 へえー!
永野 この立体をこう転がして、こう光を当てるとこうなるので、このパターンしかありませんって。それを見たときは、ぐうの音も出なかった。あの解答は、「人に伝わるように表現する力」が図抜けてましたね。
「数学的でありたい」と思うことが、何より重要
藏丸 「説明力」や「表現力」以外だと、「数学的センス」にはどんな能力があると思われますか?
永野 いろいろあるのですが、ひとつ挙げるなら「数学的でありたい」という気持ちを持っていること、でしょうか。
藏丸 「数学的でありたい」……?
永野 ええ。それは「美しくありたい」という気持ちと似ているんです。論理的に考えたい、突き詰めて考えたい、対称性に注目したい、視覚化したい……物事を考えるときにそんな自分でありたいと思えたら、それはもう数学的なセンスがあると言ってよくて。
藏丸 はい、はい。
永野 しかも、「数学的でありたい」と思っていると、数学的に考えるチャンスを見逃さないんですよ。大学時代、「最近なにか服買った?」と友だちに訊かれて「ジーンズを買った」と答えたところ、「ジーンズの市場ってどれくらいだろう」という話になり、そこからふたりで「日本国内におけるジーンズの年間売上げ」の数字をいくつかの仮定のもとに導き出したことがあります。調べてみたらだいたい合っていたんですが、それって今で言うところのフェルミ推定ですよね。
藏丸 「どれくらいだろう」で終わらせず、突き詰めて考えるのが数学的センスなのかもしれませんね。
永野 ほかには、「感覚に身を任せず、説明書を隅々まで読む」というのも数学的な姿勢だと言えます。いま直感的に使えるガジェットたちがちまたを席巻していますが、数学的に考えるチャンスを逃していると言えるかもしれません(笑)。
こんなふうに、身の回りには数学的に考えるきっかけがたくさん転がっています。それに向き合うのが、数学的センスのある人の振る舞いなんじゃないでしょうか。(中編に続く)
オンライン個別指導塾・永野数学塾(大人の数学塾)塾長。 1974年生まれ。高校時代には広中平祐氏主催の「数理の翼セミナー」に東京都代表として参加。東京大学理学部地球惑星物理学科卒。同大学院宇宙科学研究所(現JAXA)中退。レストラン(オーベルジュ)経営の後、ウィーン国立音大(指揮科)に留学。副指揮を務めた二期会公演モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」(演出:宮本亞門、指揮:パスカル・ヴェロ)は文化庁芸術祭大賞を受賞。NHK(Eテレ)「テストの花道」、ABEMA TV「ABEMA Prime」、東京FM「Blue Ocean」等多くのメディアに出演。 『大人のための数学勉強法』、『とてつもない数学』(ダイヤモンド社)、『ふたたびの高校数学』(すばる舎)等、これまでに上梓した著作は約30冊。