いま人気を集める数学漫画『数学ゴールデン』の著者、藏丸竜彦氏は九州大学の数学科を卒業し、高校の数学教師から漫画家に転身。対談相手の永野裕之氏も、東京大学から宇宙科学研究所(現在のJAXA:宇宙航空研究開発機構)を経て、プロの指揮者として活動したのちに数学塾を開いた異色の経歴の持ち主です。今回はお二人に、大人が数学を学び直す意味と、その目的にもなる「数学的思考法」について語ってもらいます。(構成:田中裕子)

「もっと本気で数学をやりたかったな」が創作のモチベーション

永野裕之(以下、永野) 藏丸さんは、大学が数学科なんですよね。やっぱり数学に魅せられたんですか?

藏丸竜彦(以下、藏丸) 僕は、典型的な「大学の数学に挫折した」人間なんです。高校のときはそこまで勉強しなくても成績がいいのが数学だったので、向いてるのかなって勘違いしちゃったんですけど、大学の数学ってどこかでがんばらなきゃいけないじゃないですか。

永野 ああ、高校までとは違いますよね。

藏丸 止まって考えて、止まって考えてって時間が必要で。でも僕はそれができなくて、遊びに走ってしまいました。でも僕だけじゃなくて、当時、九州大学の数学科って留年率が3割くらいあったんですよ。あまりにヒドいから、僕らの代から担任の先生が配置される始末で(笑)。

永野 あっはっはっ。

藏丸 なんとか卒業したけど、あれを乗り越えれば楽しかったんだろうなって後悔があるんです。

永野 うんうん。わかります。

藏丸 ほら、恋愛漫画って「こういう恋愛したかったな」って理想を詰め込んで描くじゃないですか。ぼくの場合は、「もっと本気で数学をやりたかったな」なんです。あと、一生懸命勉強するのを揶揄される中学時代だったけど、「こんなふうに勉強に熱中したかったな」って。でもそう思ってる大人って、結構多いんじゃないかなと思うんですよね。

永野 いやあ、多いと思いますよ! 僕の「大人の数学塾」にも、「ちゃんと数学をやってみたかった」という方がたくさんいらっしゃいます。

永野裕之氏写真永野裕之(ながの・ひろゆき)
オンライン個別指導塾・永野数学塾(大人の数学塾)塾長
1974年生まれ。高校時代には広中平祐氏主催の「数理の翼セミナー」に東京都代表として参加。東京大学理学部地球惑星物理学科卒。同大学院宇宙科学研究所(現JAXA)中退。レストラン(オーベルジュ)経営の後、ウィーン国立音大(指揮科)に留学。副指揮を務めた二期会公演モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」(演出:宮本亞門、指揮:パスカル・ヴェロ)は文化庁芸術祭大賞を受賞。NHK(Eテレ)「テストの花道」、ABEMA TV「ABEMA Prime」、東京FM「Blue Ocean」等多くのメディアに出演。 『大人のための数学勉強法』『とてつもない数学』(ダイヤモンド社)、『ふたたびの高校数学』(すばる舎)等、これまでに上梓した著作は約30冊。

大人の学び直しに演習問題は必須ではない

藏丸 そういう方には、どういうふうに教えていくんですか?

永野 多くの学生は入試問題を解けるようになることがひとつのゴールなので「演習」がメインになります。でも、大人にとって問題はただの確認作業。むずかしい問題を解く必要はないんです。それより、それぞれの定理や公式の概念をきちんと理解することのほうが、ずっと大事です。『大人のための数学勉強法』にも書いたのですが、知識よりも知恵を増やしていくことを意識するといいと思います。

藏丸 たしかに、問題を解こうとすると挫折しやすいかもしれません。学生だと無理やり勉強させられる中で楽しみに気づくこともあるけど、大人はなかなかそこまで辿り着かない。

永野 はい。よほどモチベーションがない限り、「なんで数学が必要なの?」と立ち止まってしまいます。だから動機付けが必要で、僕のおすすめは数学の歴史を勉強することですね。歴史的にこういう苦労があったけど、この概念があったからブレイクスルーが起こってあたらしい世界が広がったんだ、すごい!……とテンションを上げていく。

藏丸 永野先生の『とてつもない数学』みたいな本は、そのいい手段ですよね。「こういうところにも数学が使われてるんだ」「こんなすごい人がいたんだ」ってエピソードを知ることで数学に興味を持てるようになりますから。

 日本史や世界史だって、受験勉強では年号まで覚えなきゃいけないけど、大人は流れを学べばじゅうぶんです。歴史の年号と数学の演習問題は同じ。「楽しい」と思えるところから入るといいんじゃないかと思います。

永野 ええ。たとえば普段クラシックをあまり聴かない人がベートーヴェンの『運命』の冒頭、「ジャジャジャジャーン!」を何パターンか聴いたとしても、「全部同じじゃん」と思うかもしれません。でも、音楽を学んできた僕が聴くと、同じ指揮者でも年代が違うだけでまったく違う演奏に聞こえます。それは、いろいろな『運命』を知ってるから。たくさん聴いてきたから、わずかな違いがわかるようになったんです。

 コーヒーやワインだって、「わかる」ためにはまずたくさんそれに触れる必要がありますよね。数学も、いろいろな概念を味わうのが第一です。

藏丸 なるほど。まずは楽しくたくさんインプットして、触れる経験を積むところから、と。

永野 とはいえ、数学には問題を解く楽しみもあるのは間違いないんです。『数学ゴールデン』の主人公たちは、問題を解きたい人たちですよね。解く感動を味わいたい人。

藏丸 そうですね。理論を納得するだけじゃ得られない、実際に解くことでしか体験できない感覚はたしかにあると思います。漫画も同じで、「こういうふうに描くといい」ってノウハウはSNS上にもあふれているんですが、やっぱり自分の手を動かして描かないと、モノにはならなくて。そこは、数学と漫画って似ているかもしれません。

指揮者や映画監督は、どのように「数学的思考」を使っているのか?藏丸竜彦(くらまる・たつひこ)
1986年、鹿児島県生まれ。九州大学理学部数学科卒。漫画家を目指しながら、鹿児島にて中高生向けの塾や私立高校の数学講師として3年間勤務した後、上京。2019年9月から『数学ゴールデン』を青年漫画雑誌「ヤングアニマルZERO」(白泉社)で連載開始。数学の面白さを伝えるべく試行錯誤中である。【Twitter】@kuramaru_desu

音楽家は、数学的に思考している

藏丸 先ほど音楽の話になりましたが、永野先生は「数学」のキャリアと「指揮者」のキャリアをお持ちですよね。不思議な組み合わせですが、このふたつに共通するものってあるんですか?

永野 音楽について考えることと数学的に発想することは、とても似ています。指揮者の勉強のためウィーンに留学したとき、ひとつ、身に染みたことがあって。日本だと理屈っぽい人は煙たがられがちで、パッとひらめく人がかっこいいって風潮があるじゃないですか。でもヨーロッパの音楽界では、論理的に考えられる人が称賛されるんです。思いつきには、そこまで価値がない。

藏丸 へえ! それは意外です。

永野 とくにオーケストラを率いる立場にある指揮者は、楽団員に「なぜ自分はそう演奏したいか」を論理的に説明しないといけません。

 たとえば「いまみんなが演奏している曲のこの和音は、今では当たり前の響きだけれど、当時としてはあたらしい和音でした。だからその革新が味わえるような演奏をしたい」と説明して、納得してもらわなきゃいけない。「なんとなくかっこいいから」じゃ誰も動いてくれないんです。こうして音楽の理屈を論理的に考える作業は、数学の問題を解いていく作業ととても似ています。

藏丸 はー、指揮者に必要なのはカリスマじゃないんですね。

永野 飛び抜けて論理的なヤツ、数学的思考法が身についている人が指揮者になっている、という印象ですね。本人は、「数学ができる」なんて思っていないことが多いんですが。しかも彼らは伝え方も上手だから、筋は通ってるのに理屈っぽくない。そういう人がたまに突飛なことを言うと、普段ロジカルだからみんな話を聞いて、結果ものすごい革新的な演奏になるんです(笑)。

北野武も、数学で考えていた!

藏丸 海外の映画のメイキングを見ても、監督はとにかくロジカルですよね。指揮者も監督も、一流の人は数学的に思考している……と言えるのかもしれません。そうそう、北野武さんは数学が得意なんですが、ひとつすごい「たとえ」があって。

永野 なんでしょう?

藏丸 映画のシーンで、倒れている人と銃を持っている人が順番に映ったら、「この銃を持ってる人が倒れてる人を撃ったんだな」とわかりますよね。でも、何人も撃ったことを伝えたいとき、「倒れている人」「銃を持っている人」「倒れている人」「銃を持っている人」を何度も交互に映す必要があるかというと、そうじゃない。「倒れてる人、人、人、人」「銃を持っている人」で伝わってしまう。

北野武の数学的思考(作画:藏丸竜彦)

 これこそが因数分解なんだ――と北野さんが語っていたんです。それを聞いたとき、「すごいな!」と感動しました。映像を考えるときに、数学を使っている。

永野 おもしろい!

藏丸 漫画だって、どうコマを割るかとか、どう要素をバラして表現するとかは数学的なアプローチに近いんですよね。無意識とはいえみんな数学的に考えてるのに、「数学は苦手だし嫌い」となってしまっている。漫画家は、数学的思考を持っている人が多いと思ったりもします。

わたしたちが無意識に使っている「秀吉のひも」

藏丸 そんな漫画家仲間たちをはじめ数学になじみのない人も取り入れられる、日頃から「数学的に考える」コツはあるんでしょうか?

永野 まったくあたらしい概念を学ばずとも、自分が持っている考え方に数学的に名前をつけてあげるだけで違うと思います。

 たとえば「これも数学的な発想法なんだ!」とおもしろさが実感できるのが、『とてつもない数学』にも書いた「秀吉のひも」。豊臣秀吉がいわゆる「1対1対応」(*)を活用したエピソードです。

 簡単に言うと、「裏山の木の数を数えてこい」と信長に命令された足軽たちが、誰がどの木を数えたかわからなくなって混乱していたところ、秀吉が1000本の紐を持っていき、1本ずつ木に結んでいった。結果的に、1000から余った紐の本数を引いて、木の数が判明した――という話です。

* 集合Aと集合Bがあるとき、Aのどの要素にもBのただ1つの要素が対応し、またBのどの要素にもAのただ1つの要素が対応すること。

藏丸 「複雑そうなものを数えやすいものに1対1で置き換えて考える」というのは、数学ではよく使う考えですね。

永野 ええ。じつは、微積分や計算法を意味する「calculus」の語源が「小石」であるのも、かつて牛の数と小石を1対1に対応させたことから来ています。別の言い方をすると1対1対応は「関数」につながる発想で、原因から結果が決まるだけではなく、結果から原因がわかるということ。こう言うとむずかしく感じるかもしれませんが、発想としてはみなさんもごく日常的に使っているはずなんです。

 先ほど漫画家さんも数学的には考えているとおっしゃっていましたが、「意識」できていないと当たり外れが出てしまいます。つまり、論理的に考えられたり、考えられなかったりする。でも普段から「いまの考え方は1対1対応だな」とか「余事象(*)を使ったんだな」と言語化することで、数学的に考える習慣が身につくと思います。(後編に続く

(*)ある事象に対して、それが起こらないという事象のこと。「Aが起こる確率=1ーAの余事象が起きる確率」のように使う。