退院後、僕はこれまで以上に鋳物づくりに精を出しました。
高岡の鋳物業界は、不景気による廃業が相次いでいて、能作の経営も火の車。会社の実情に不満を抱き、去っていく職人もいました。
働いて、働いて、働いて、働き続けなければ、売上は上がらない。
鋳物をつくって、つくって、つくり続けなければ、他の鋳物工場と同じように廃業に追い込まれてしまう……。
僕に、体をいたわる余裕はありませんでした。
背筋が凍りついた、
ある母親のなにげないひと言
伝統を受け継ぐ職人としての誇りが、汗にまみれて働く毎日を支えていました。
しかし、今から30年ほど前、その誇りが揺らぎかけたことがあります。
当時にしてはかなりめずらしく、「工場見学したい」という親子から連絡をいただきました。
小学校高学年の男の子と、その母親でした。
僕は嬉しくなって、鋳型(いがた)の造型の作業をお見せしました。
ところが、母親はさほど興味を示さず、それどころか僕に聞こえる声で、息子さんにこう言ったのです。
「よく見なさい。
ちゃんと勉強しないと、
あのおじさんみたいになるわよ」
勉強しないと、こんな仕事をやることになる……。母親の心ないひと言に、僕は凍りつきました。
地元の人が鋳物職人の地位を低くみなし、伝統産業を軽んじている現状に、唖然(あぜん)としました。
誇りを持って仕事をしてきたつもりなのに、鋳物の仕事、職人の地位はなぜここまで低いのか。悔しさに震えました。
そしてこの日、僕は、心に決めたのです。
「鋳物職人の地位を取り戻す」
そのためには、「地元の人の意識を変えよう」と。