鋳物職人の仕事は、薄給でした。
肩書きこそ「専務」と立派でしたが、月給は13万円。手取りで月9万円そこそこ、年収は約150万円でした。
大手新聞社の報道カメラマン時代の年収は、入社3年目で約500万円でしたから、当時の3分の1以下です。
正常血液量の2分の1を下血、瀕死の状態に
鋳物職人の仕事は、過酷でした。
鋳物砂(いものずな)が焼けるにおいは独特です。流し込む前の溶けた金属はとても熱く、溶解した真鍮(しんちゅう)は1200度を超えます。砂と汗で、四六時中、体はベトベトです。
細かい砂を使うため、空調を使うわけにはいきません。ですから、夏はTシャツを何枚も着替える蒸し暑さです(一方、冬はとても寒い)。
過酷な現場に身を置き、1年間で体重が30キロも減るハードワークを経験しました。
鋳物職人として、朝早くから夜遅くまで、がむしゃらに働く毎日。人手が足りないので土日もない。昼食は5分で手早くすませ、すぐに作業に戻りました。
過労から下血が止まらなくなり、それでも無理を重ねていたら、突然、トイレの中で気を失いかけたことがあります。「こんなところで死んだら、恥ずかしい。あかん、あかん」と、なんとか正気を保ったものの、瀕死の状態で病院に運ばれ、緊急輸血。僕の体重から計算すると、血液量は「8リットル」が正常なのに、体の中には、その半分の4リットルしか残っていなかったのです。
医師から、「全血液量の3分の1以上が失われると、非常に危険。ショック死してもおかしくない」
と宣告され、3週間の入院を余儀なくされました。