悩み多き野比のび太にとって、未来からやってきた猫型ロボット「ドラえもん」は、最高のメンターであり友人です。「正義」ほど、危険なものはありません。その行使には、歯止めが利かないからです。ドラえもんの言葉に耳を傾けましょう。(解説/僧侶 江田智昭)
のび太の悩みにドラえもんが答える
漫画とアニメの中で何度か語られた『ドラえもん』の名言です。のび太がご先祖さまに代わり、どちらの軍に加勢するかで悩んだ際、「どちらの軍が正しいの?」とドラえもんに質問する場面があります。そのときの答えが、この掲示板の言葉です。これは戦争の本質を言い当てたものです。
「自分が正しい」と信じている人間ほど怖いものはありません。以前、落語家の立川志らくさんが、山本弘『翼を持つ少女』に出てくる文を好きな言葉として紹介していました。
世の中で最も危険な思想は、悪じゃなく、正義だ。悪には罪悪感という歯止めがあるが、正義には歯止めなんかない。だからいくらでも暴走する。過去に起きた戦争や大量虐殺も、たいていの場合、それが正義だと信じた連中の暴走が起こしたものだ。
これはまさに真理だと言えます。哲学者カントは、「自分自身が道徳的である(善である)」とみなすことを「Moral enthusiasm(道徳的熱狂)」だと批判しました。「道徳的熱狂」の危険性を十分に理解していたのでしょう。
結局のところ、道徳的な「善」や「悪」や「正義」などは、しょせん人間が勝手に作り出したものであり、それらは人や時代によって簡単に揺れ動きます。親鸞聖人は『歎異抄』の後序の中で、「何が善であり、何が悪であるのか、そのどちらもわたしはまったく知らない」とおっしゃっています。このような考え方が「道徳的熱狂」を防ぐ上では大切なことなのかもしれません。
『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の中に、「二つの尊い教えが、人々を救う。その一つが“慚”であり、もう一つは“愧”である」という言葉があります。「慚愧(ざんき)の念に堪えない」という言葉を一度は聞いたことがあると思います。「慚愧」とは、「自らの行為を恥ずかしく思い、反省すること」であり、これこそが人々を救う尊い教えだと説かれているのです。
よく考えてみると、「慚愧の念に堪えない」や「お恥ずかしいことです」といった言葉を最近あまり聞かなくなりました。また、インターネット上の書き込みなどを見ていると、自分の事は棚に上げ、正義を振りかざして他者を非難する人があふれています。これらの現象は、現代社会の人々の心の中で「慚愧」というものが薄れつつあることを表しているのかもしれません。
また、同じ『大般涅槃経』の中には「慚愧の無い者は人間ではなく、畜生である」という厳しい言葉も存在します。ですから、「自分の中に慚愧はあるのか?」「自分は果たして人間なのか?」と、己の心の中で問い続けることも大切です。
もちろん、私たち一人一人がこうした言葉を十分かみしめる必要もありますが、できればプーチン大統領にもこの教えが届いてほしいと思います。ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのは、今年2月のことでした。当初は圧倒的な軍事力の差により、早期にロシアが口にする「特別軍事作戦」は終結するものと思われていましたが、7カ月を経た現在も、戦いは続いています。
いまでも多くの方々がこの戦禍で苦しんでいることに、心が強く痛みます。今年の8月6日、広島で行われた平和記念式典のスピーチで、松井一実・広島市長がこの戦争について言及し、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイの文章として、以下の文を引用していました。
他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ。
これは人間が社会的生活を営む上で最も重要なことだと感じます。ウクライナでの戦争が一日も早く終結することを、心から念じております。