ルターがドイツ農民戦争の過激な思想に反対した理由

 ルター派の宗教改革に賛成する声は日増しに強くなりました。

 しかし、振り子が振れ始めると、しばしば振れすぎてしまうように、宗教改革の運動は原始共産主義の方向に傾斜し始めます。

 その中心人物がトマス・ミュンツァー(1489-1525)でした。

 彼はルターの影響を受けて宗教改革者となりましたが、やがてルターの聖書中心主義を超えて、過重な税金廃止と農奴的負担の拒否を訴え、さらに領主の存在をも否定して、農民たちを決起させました。

 ドイツ農民戦争が中部ドイツから南部にかけて、拡大していったのです(1524-1525)。

 しかしルターはドイツ農民戦争には強く反対し、ドイツ諸侯に鎮圧を呼びかけました。

 ルターはローマ教会が聖書に書かれていないことを勝手にやることを、激しく批判しました。

 しかし、領主の存在は否定しませんでした。

 イエスも「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と言っていたからです。

 もっとも、聖書には領主を肯定するような言葉も書かれてはいないのですが。本来、ルターは過激な思想の持主ではありませんでした。

 常識的・保守的な人だったのです。

 また、ルターは聖職者の妻帯を認めました。今日でもプロテスタントと呼ばれるルター派やカルヴァン派の宗派では、聖職者は妻帯しています。

 ルターにも妻子がいましたが、聖書は聖職者の妻帯を禁じてはいませんでした。

 なお、ドイツ農民戦争は徹底的に弾圧されましたが、この戦争によってルター派の教えは全ドイツに拡散しました。

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