多様性というのは条件付きで
成立するものではないだろうか

 休憩を挟みながら、4〜5人が1組となり、「身の回りの『多様性』で感じること」について話しながら付箋紙に書き出し、大きなわら半紙に貼っていくワークショップが行われた。休憩が終わり、後半の最初に、各グループでどのような話が出たかを、順に発表していった。

「例えば会社の役員会議などで女性が少ない時、女性の発言というのは『女性としての意見』を求められてしまっていないか。個人の考えがあっていいのに『女性代表としてのコメントがほしい』という価値観が押し付けられてしまうのではないか。そういった懸念があるという意見がありました。一方で、多くの女性の意見を代弁する人がいなければ、女性特有の悩みなどを男性が知る機会もないので、それはそれで重要ではないだろうか、という話をしていました」

「えっと、本当に言いづらいのですが、この会自体に多様性がないと思うんです。早稲田大学の学生やそのつながりで参加している人が多く、皆、そこそこ勉強ができ、そこそこ自分でやってきた自信があって、知識や考え方をアップデートしようとしてここに来ている。選挙がどう、自由主義がどう、とか話しているけれど、僕の地元の友人はそんなことには一切、関心がないし、有権者としての意識を聞かれても困るだろう。だから『選挙に行け』と言われてしぶしぶ行って、N党に入れたくなる気持ちもわかります。『この会に多様性がない』という僕の発言も、学歴という観点で切って多様性がないと言っているだけで、皆の生い立ちとか、年齢とか、興味とかを考えれば、十分、多様性はあるのかもしれません。そうなるとやはり、そもそも多様性って何なの? という疑問に戻ってしまう」

『多様性』の前提自体が、時代によって変わってしまうのでは、という話が出ました。真の多様性なんてものは結局、なくて、多様性というのは条件付きで成立するものではないかと

 田原氏が再び口を開く。「やっぱり皆、多様性といいながら、自分自身は多数派になりたいのだろう。それでは多様性というのは生まれない。多様性を認めるためには、あえて自分が少数派になってみることも大切だ」

諏訪さん諏訪玲子氏 Photo by Aoi Higuchi

 後半から参加した諏訪玲子氏が、田原氏の発言を受けてこう述べる。「うちの子は、発達がゆっくりということもあるので、ある意味、マイノリティだと思うんです。多様性の話になった時、皆さん、マイノリティ側になりたいですか? 実際は嫌だと思っていないかなと。自分がマジョリティだと思える居場所がないまま生きていくのは難しいと思うんです。社会でマイノリティの人たちも、『私たちは間違っていないよね』ということを確認するために、コミュニティをつくってそこでマジョリティになる。コミュニティ内のマジョリティ性にすごく救いを求めるようになり、どんどん思想が強くなっていく。多様性とマジョリティの関係性にはそういった側面があると思うんです」

 諏訪氏は、ブロガーでもある。国の制度に関して諏訪氏が記した記事がバズったことについて、モデレーターがふれると、諏訪氏は次のように答えた。