自己表現できる場をつくることが
多様性を広げる第一歩となる

話し合いPhoto by Aoi Higuchi

 参加者のひとりが手を挙げる。「言語化されたものは解決に動くことができると思うんです。でも、言語化できるものはしょせん、氷山の一角。氷山の一番上に飛び出た部分が言語化されているだけで、その下の、言語化されていない部分のほうが、実際は大きい。なので、その、表面に出ていない、言語化されていない部分の『モヤモヤ』をもっと味わう時間というか、それについて話す時間を設けることが、大切なんじゃないでしょうか」

 別の参加者も発言する。「私が皆さんに問いかけたいなと思うのは、皆さん、自分のことをマイノリティだと思ったことがあるかどうか、ということです。私は、人にはマイノリティ性というのは、誰しも少なからずあると思うんです。あっても気づいていない人が多いだけで。私は両親とも中国人で、2人は留学生として日本に来て住み始めました。そして私が生まれた。私は日本で生まれ育ったんですね。母語は中国語ですが、保育園に入った頃から、日本語を話す友だちが多いことを感じて、中国語を話す自分が受け入れなくなり、日本語を必死に勉強しました。今では一番得意な言語は日本語になりましたが、それって、マイノリティであった自分をマジョリティ化するみたいなことなんですね。でも、親の親戚など中国語を話す人の多いコミュニティの中では、自分は日本的なところもあるなと感じたり、その逆もしかりで、マジョリティ化しても結局、どこへ行ってもマイノリティでもある。こうした『多様性が大事だよね』とか言われだしたのって、本当にここ最近じゃないかと思うんです。そういう時代になったから私はこうして皆の前で表現できますし、それができなかった幼少期の頃は、すごく言いづらくって、言いたくなくて、嫌で苦しくて。私は、『これだけはされなくない』という大嫌いな質問がひとつだけあるんです」

「それは『あなたは何人ですか?』という質問です。小さい頃から、この質問を投げかけられてきて、徐々に答えなくなっていったんです。でも今は、多様性、多様性と言われ始めているから、こうやって自己表現できる場も生まれてきている。さきほど、この会は多様性がないという意見もありましたが、こういう会があるからこそ、マイノリティ性を表現できるし、知ることもできる。先ほど諏訪さんが、伝えたいという気持ちがモチベーションとなった、というお話をされていましたが、私がこうしたマイノリティ性を伝えられるようになったのは、自己表現したいという純粋な動機からしか来ていないんですね。なので、こうした自己表現できる場が広がってほしいし、そうした環境にもっとなってほしい。『自己表現できる場をつくる』ことは、誰もが可能だと思うんです。モヤモヤしていてうまく言語化できていませんが、今日のお話を振り返ってみて、自分の中にあるマイノリティ性を外に広げる、見える化するということが、多様性なのかなって。そう感じています」

 会場に大きな拍手が湧き上がった。

ぷらんたんPhoto by Aoi Higuchi