現代人は、かなり慢性的にこの蓋を閉めている状態になっていることが多いのですが、この図のように、抑えられて出られずにいる感情は、「怒」「哀」「喜」「楽」の順番で溜まっているイメージで捉えられます。

 一般的には感情を「喜怒哀楽」という順番で言うわけですが、私が臨床的に多くのケースを観察した結果、どうもこのような順番になっていると考えられるのです(詳しくは拙著『「普通がいい」という病』【講談社現代新書】をご参照ください)。

「怒り」を抑えること
のデメリット

 この「怒」「哀」「喜」「楽」という順番が、とても重要なポイントになります。特に上の二つの感情は、俗に「ネガティブ(マイナス)な感情」と言われているもので、一番上にあるのが「怒」です。

 ですから、「心」がエネルギーを回復し、「頭」の過剰なコントロールに反発して感情を出そうとしてくる際に、最も初めに顔を出そうとしてくるのが「怒り」の感情ということになります。

 「怒」のボールは、「頭」が閉めている蓋に抗して、これを押し上げようとしてきます。これが、イライラの状態です。いわば、火山が噴火する前に起こる地震のようなものです。

 ですから、このイライラを悪化の兆候と見て、ひたすら感情のコントロールを強化する方向で治療を行なってしまうと、せっかく開こうとする蓋を再び閉めることになり、「心」が回復しようとする芽を摘んでしまうわけです。

 しかし、「怒り」は大抵の場合、抑えるべき感情と捉えられているものですし、やたらにまき散らしてしまえば厄介なトラブルの元にもなることは否めません。そこで、この感情解放の初期段階をうまく経過させるには、ある種のコツが必要になってきます。

「ポジティブ思考」が
長続きしない理由

 「怒り」を抑えているものは、「怒り」をネガティブと捉える道徳的な価値判断や、人間関係への配慮が主なものでしょう。しかし、先ほどの図で示したように、ネガティブな感情が出られなければポジティブな感情も出られません。世に言う「ポジティブ思考」というものが長続きしない訳は、ここにあるのです。

 そもそも感情をネガティブ/ポジティブに分ける二元論的判断のところに根源的な問題があるのではないかと私は考えています。コンピューター的な性質の「頭」は、コンピューターが1/0の二進法を基礎にして作られているように、二元論的判断を思考の基本要素としているので、どうしてもこのようなことが起こりやすいわけです。

 本来「怒り」は、ネガティブというレッテルで差別されるべきものではありません。

 不当なもの、理不尽なもの、愛のないもの、侵害的なもの等に対して自然に「心」から生み出されてくる感情が「怒り」なのであり、人類の歴史を見ても、革新的な試みは常に、旧態依然としたものへの「怒り」が基になって成し遂げられてきました。「怒り」は、閉塞的状況を打開する創造的エネルギーの発露でもあるのです。

 もちろん、巷で目にする「怒り」には、自分勝手な欲望が満たされないために出てくる未熟なものや、古い怒りが溜め込まれ腐敗して八つ当たり的にぶちまけられるもの等々、質の悪い「怒り」がかなり見受けられます。

 しかしながら、その面だけを見て「怒り」をネガティブと誤解してしまうと、「怒り」の持つ大切な意義を見落とし、その力を生かすことができなくなってしまいます。