「世の中、実力主義だ」「能力があれば、学歴なんか関係ないよ」。こんなセリフは、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。「実力があるのが大事だ」「私は、学歴なんかで人を判断したりしない」と思っている人も少なくないはずだ。しかし、「そんな言葉を真に受けてはいけない」と注意喚起する本がある。『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』だ。著者のふろむだ氏は、「たいていの人は、無意識のうちに肩書で判断している」と主張する。では、なぜそのようなことが起こるのか。本記事では、本書の内容をもとに、私たちが知らないうちに起きている「脳の勘違い」や「無意識」の働きについてご紹介する。(構成:神代裕子)
「学歴で人を判断する人」は浅はかなのか?
「私は、人を学歴や肩書で判断したりなんかしない」。
そう思っている人は少なくないだろう。筆者もそうだ。少なくとも、本書を読むまではそう思っていた。
「学歴や肩書はあくまでも表面的なものであり、その人を形成する要素の一つに過ぎない」と、そう言える人でありたいと思っていたからだ。
では、なぜ私たちはそのように考えるのだろうか。その理由を著者のふろむだ氏は次のように語る。
さらにふろむだ氏は、「これには利害が絡んでいる」と主張する。
確かに「私は学歴で人を評価する人間だ」と言ってしまうと人から悪いイメージを持たれる。このことは、多くの人が頭のどこかで感じているのではないだろうか。
学歴や肩書が持つ「ハロー効果」
そもそも、無意識のうちに学歴や肩書を見て、その人を「優秀だ」と考えるのはなぜだろうか。
それは、「高学歴」や「大手企業」「部長」といった肩書がハロー効果を引き起こすからだ、とふろむだ氏は語る。
この「ハロー効果」とは、後光効果と呼ばれるもので、何か1点が優れていると、後光が差したように何もかもが優れて見えるという認知バイアスの一つである。
確かに、初めて会う人から「東大卒だ」とか「GAFAに勤めている」といったことを聞かされたら、「この人は優秀な人に違いない」と思ってしまうだろう。
そう考えると、学歴や肩書で判断しても、あながち外れていないように思えるのに、なぜ私たちは「学歴や肩書で判断する人間に見られたくない」と考えてしまうのだろうか。
そこには、ある理由があったのだ。
脳は、自分の都合の悪い現実を書きかえる
その理由は、ふろむだ氏によると「脳は矛盾に耐えられない」からだそうだ。
その例として、本書では次のような実験が挙げられている。
被験者を2つのグループに分け、つまらない作業をそれぞれ、20ドルと1ドルで行ってもらう実験を行った。
作業終了後に、作業が面白かったかを質問すると、1ドルをもらった被験者の方が、20ドルをもらった被験者よりも「面白かった」と答える傾向にあったのだという。
これは、「お金を少ししかもらえないのに、つまらない仕事をやるという矛盾」に脳が耐えられないため、報酬が変えられないから、「作業がつまらなかったという事実の方を変更した」とふろむだ氏は解説する。
そして、それは嘘をついているわけではなく、彼らの「無意識」が勝手に記憶を書きかえることで、整合性を取っているのだ、というのだから驚きだ。
そして、「肩書の問題でもこれと同じことが起きている」というのだ。
つまり、「立派な学歴」も「偉そうな肩書」もきちんと価値があるものだけれど、「ろくな肩書がない自分」と整合性を取るために「偉そうな肩書には価値がないと思い込む」ということだ。
そんなのは、ある種の現実逃避ではないか!
これは非常に危険な話である。実際には、学歴や肩書にはしっかり価値があるわけだから、それらを「無価値」と認識してしまうと、そういった「ハロー効果を生み出すもの」(本書では、これを「錯覚資産」と呼ぶ)を身につける努力をしなくなってしまう。
「学歴なんて意味がないから勉強してもしょうがないよね」とか「肩書なんてあってもしょうがないから、出世できなくても問題ない」と思うのは、気持ちとしては楽になるかもしれないが、まず人生が良い方向に進むことはないに違いない。
無意識が勝手に行っていることとはいえ、非常に恐ろしい話だ。そんなことになってしまわないためには、一体どうすればいいのだろうか。
無意識に流されず、現実を変える努力を
無意識が塗り替えてしまう価値評価に流されないためにできること。それは、「認識ではなく、現実を変えることで、この矛盾を解消すること」と、ふろむだ氏は教える。
例えば、自分より優秀なエンジニアがいたら、自分も技術を磨いて優秀なエンジニアになる。そうすることで現実の評価価値と自分の状態が合致するようになる。
努力しても自分の状態をプラスにするのが難しい場合については、次のような方法を勧めている。
良い属性、高い属性の価値を否定することでバランスを取るのではなく、その属性を利用するという発想を持つことで、無意識に流されない状態を作り出そう、というのだ。
自分の属性の価値がマイナスだった場合、それを認めるのは苦しいことだ。
ただ、それを見ないフリをしても、現実は一切変わることはない。
この事実を知ったうえで、どのような行動を取るのか。それは私たち次第である、と本書は突きつけているのだ。