「世の中、実力主義だ」「能力があれば、学歴なんか関係ないよ」。こんなセリフは、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。「実力があるのが大事だ」「私は、学歴なんかで人を判断したりしない」と思っている人も少なくないはずだ。しかし、「そんな言葉を真に受けてはいけない」と注意喚起する本がある。『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』だ。著者のふろむだ氏は、「たいていの人は、無意識のうちに肩書で判断している」と主張する。では、なぜそのようなことが起こるのか。本記事では、本書の内容をもとに、私たちが知らないうちに起きている「脳の勘違い」や「無意識」の働きについてご紹介する。(構成:神代裕子)

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっているPhoto: Adobe Stock

「学歴で人を判断する人」は浅はかなのか?

「私は、人を学歴や肩書で判断したりなんかしない」。

 そう思っている人は少なくないだろう。筆者もそうだ。少なくとも、本書を読むまではそう思っていた。

「学歴や肩書はあくまでも表面的なものであり、その人を形成する要素の一つに過ぎない」と、そう言える人でありたいと思っていたからだ。

 では、なぜ私たちはそのように考えるのだろうか。その理由を著者のふろむだ氏は次のように語る。

「学歴で人を判断する人」は、一般的に、「人間の真の実力や価値が見抜けない、浅はかで偏見に満ちた不公平な人間だ」と思われている。「学歴で人を判断しない人」は、「人間の真の実力や価値が見抜ける、公平で、正しく、立派な人間だ」と思われている。誰だって、自分が「浅はかで偏見に満ちた不公平な人間」だと思いたくないし、他人からもそう思われたくない。(中略)だから、自分が無意識のうちに学歴で人を判断しているのにもかかわらず、それを認めたくなくて、無意識のうちに、ごまかそうとするのだ。(P.232-233)

 さらにふろむだ氏は、「これには利害が絡んでいる」と主張する。

「学歴で判断するような不公平で浅はかな人間」であると思われると、周囲からの評価が下がり、人事評価まで下がりかねない。大損だ。だから、誰もが、「自分は、学歴で判断するような人間ではない」というフリをするのだ。(P.233-234)

 確かに「私は学歴で人を評価する人間だ」と言ってしまうと人から悪いイメージを持たれる。このことは、多くの人が頭のどこかで感じているのではないだろうか。

学歴や肩書が持つ「ハロー効果」

 そもそも、無意識のうちに学歴や肩書を見て、その人を「優秀だ」と考えるのはなぜだろうか。

 それは、「高学歴」や「大手企業」「部長」といった肩書がハロー効果を引き起こすからだ、とふろむだ氏は語る。

 この「ハロー効果」とは、後光効果と呼ばれるもので、何か1点が優れていると、後光が差したように何もかもが優れて見えるという認知バイアスの一つである。

「偉そうな肩書なんて欲しくない」って言う人は多いけど、実際には、偉そうな肩書は非常に重要だ。「俺は肩書なんかで人間を判断したりしない」って思ってる人が多いけど、たいていの人は、無意識のうちに肩書で判断しているからだ。(P.237-238) 

 確かに、初めて会う人から「東大卒だ」とか「GAFAに勤めている」といったことを聞かされたら、「この人は優秀な人に違いない」と思ってしまうだろう。

 そう考えると、学歴や肩書で判断しても、あながち外れていないように思えるのに、なぜ私たちは「学歴や肩書で判断する人間に見られたくない」と考えてしまうのだろうか。

 そこには、ある理由があったのだ。

脳は、自分の都合の悪い現実を書きかえる

その理由は、ふろむだ氏によると「脳は矛盾に耐えられない」からだそうだ。

その例として、本書では次のような実験が挙げられている。

 被験者を2つのグループに分け、つまらない作業をそれぞれ、20ドルと1ドルで行ってもらう実験を行った。

 作業終了後に、作業が面白かったかを質問すると、1ドルをもらった被験者の方が、20ドルをもらった被験者よりも「面白かった」と答える傾向にあったのだという。

 これは、「お金を少ししかもらえないのに、つまらない仕事をやるという矛盾」に脳が耐えられないため、報酬が変えられないから、「作業がつまらなかったという事実の方を変更した」とふろむだ氏は解説する。

 そして、それは嘘をついているわけではなく、彼らの「無意識」が勝手に記憶を書きかえることで、整合性を取っているのだ、というのだから驚きだ。

そして、「肩書の問題でもこれと同じことが起きている」というのだ。

「自分にはろくな肩書がない」という事実と、「偉そうな肩書には価値がある」という事実は、矛盾する。だから、人間は、無意識のうちに、この矛盾を解消しようとする。「偉そうな肩書」を得られれば、矛盾は解決するが、それは、そんなに簡単に得られるものではない。そこで、「無意識」は、「意識」の知らないところで、この矛盾を解消するために、「偉そうな肩書」の価値評価を書きかえるんだ。(P.246-248)

 つまり、「立派な学歴」も「偉そうな肩書」もきちんと価値があるものだけれど、「ろくな肩書がない自分」と整合性を取るために「偉そうな肩書には価値がないと思い込む」ということだ。

 そんなのは、ある種の現実逃避ではないか!

 これは非常に危険な話である。実際には、学歴や肩書にはしっかり価値があるわけだから、それらを「無価値」と認識してしまうと、そういった「ハロー効果を生み出すもの」(本書では、これを「錯覚資産」と呼ぶ)を身につける努力をしなくなってしまう。

「学歴なんて意味がないから勉強してもしょうがないよね」とか「肩書なんてあってもしょうがないから、出世できなくても問題ない」と思うのは、気持ちとしては楽になるかもしれないが、まず人生が良い方向に進むことはないに違いない。

 無意識が勝手に行っていることとはいえ、非常に恐ろしい話だ。そんなことになってしまわないためには、一体どうすればいいのだろうか。

無意識に流されず、現実を変える努力を

 無意識が塗り替えてしまう価値評価に流されないためにできること。それは、「認識ではなく、現実を変えることで、この矛盾を解消すること」と、ふろむだ氏は教える。

 例えば、自分より優秀なエンジニアがいたら、自分も技術を磨いて優秀なエンジニアになる。そうすることで現実の評価価値と自分の状態が合致するようになる。

 努力しても自分の状態をプラスにするのが難しい場合については、次のような方法を勧めている。

マインドセットを、「自分でやる」モードから「人を使う」モードに切り替えればいい。(中略)なにもすべての属性について、自分自身の属性Xをプラスにする必要なんてない。むしろ、それぞれの属性について、その属性がプラスの人間をうまく使って、自分の人生を切り開いていったほうが、効率がいい。(中略)たとえば、自分より優れたITエンジニアに会ったら、そのITエンジニアを使って、自分が利益を得る方法を考える。(P.253-255) 
そして、くれぐれも、強い、美しい、豊か、健康、賢い、などの現実世界におけるプラスの価値自体を、自分の脳内で否定したりしないように、注意深く自分の無意識を見張る。「プラスの価値はすべて利用資源であって、それを否定すると損をする」と自分に言い聞かせる。(P.256) 

 良い属性、高い属性の価値を否定することでバランスを取るのではなく、その属性を利用するという発想を持つことで、無意識に流されない状態を作り出そう、というのだ。

 自分の属性の価値がマイナスだった場合、それを認めるのは苦しいことだ。

 ただ、それを見ないフリをしても、現実は一切変わることはない。

 この事実を知ったうえで、どのような行動を取るのか。それは私たち次第である、と本書は突きつけているのだ。