対象と現象は違うという、二元論

 すなわちカントは対象と現象は違うという、二元論に立ったのです。

 これは画期的な発想でした。

 人間は世界に存在している事物の真実の姿を、永遠に知ることはできない。

 人はその対象の現象を認識しているだけである、という理論だからです。

 それまでの哲学の認識論では、対象をそのまま対象として認識し、それが真実の存在であると考えていました。

 ところがカントは、人間は認識の枠組みで対象の現象を認識しているだけで、その事物の真実の姿を見ることは不可能であると断言したのです。

コペルニクス的転回

 このような認識論の逆転を、彼自身がその著書『純粋理性批判』(篠田英雄訳、岩波文庫、全3冊)の中で、「コペルニクス的転回」と呼んでいます。

 ポーランドの天文学者コペルニクスが1543年、著書『天体の回転について』(矢島祐利訳、岩波文庫)の中で地動説を唱え、天文学に大きな変革をもたらしたことを踏まえての表現でした。

 ところで、カントの考えた認識の枠組みという考え方は、現代の大脳生理学が解明した研究成果と同じです。大正解でした。

 我々の目から入ってきた情報は、頭の中で電気信号に変えられて、たとえば「これは赤い花である」と認識することが判明しています。

 前述したカテゴリーは、まさにここでいう脳の構造そのものだといってもいいでしょう。

 カントは脳の構造を知らないまま、すでに未来を予見してしまったといえると思います。

 それまでの哲学は、世界のさまざまな存在について、どのような存在であるかという存在論に重きを置いてきた側面がありました。

 認識の実態についてなんら疑念が湧かなかったからです。

 しかし、世界に存在する事物の真実の姿が永遠に認識不可能なのであれば、認識すること自体に論点を引き戻さなければなりません。

 「認識は対象に従って決定される」から、「対象は認識によって決定される」への変換は、まさに「コペルニクス的転回」であったと思います。