一連の問題で最もやり玉に挙げられ、辞任を余儀なくされた山際氏は東京大学大学院出身と優秀だが、世襲ではない「たたき上げ」だ。

 旧統一教会との関係が取り沙汰され、8月の閣僚人事で閣外に去った、前経済安保担当相の小林鷹之氏(東京大学卒・ハーバード大学大学院修了)もサラリーマン家庭の出身である。

 日本の政治では、どんなに優秀な人でも基盤が弱いと選挙に勝てない。そのため、旧統一教会のような「集票マシーン」に支えられねばならない。

「政治とカネ」の問題においても、非世襲議員は世襲議員と比べると、政治資金を集める上での人脈に大きなハンデを負っている。「泥水をすする覚悟で、どんな手段を使ってでも基盤を強化したい」という考えに至るのも、一応は理解できる。

 ただ余談だが、冒頭で述べた寺田稔氏は、池田勇人元首相の孫娘を妻に持つ。例外として、強固な基盤を持ちながら不正に手を染める政治家が一定数いることも書き添えておく。

 話を戻すと、金銭・集票の両面で、非世襲議員の基盤の弱さには同情すべき点がある。しかし、だからといって宗教団体と深く関わったり、カネの面で不正をしたりといった所業が許されるわけではない。

「清濁併せ呑む」の意味が
拡大解釈されている

岸田内閣・閣僚辞任ドミノで露呈、「清濁併せ呑んでこそ政治家」の大誤解本連載の著者、上久保誠人氏の単著本が発売されています。『逆説の地政学:「常識」と「非常識」が逆転した国際政治を英国が真ん中の世界地図で読み解く』(晃洋書房)

 日本には、古くから「清濁併せ呑んでこそ政治家だ」という概念が存在するように思う。だが、この言葉の意味は、政治の世界では大きく誤解されているようだ。

「清濁併せ呑む」というたとえは、本来は「善人・悪人を問わず、誰でも分け隔てなく受け入れる」という意味で、リーダー的人物の「器の大きさ」や「心の広さ」を表現する際に使われる。

 それが一転、政治においては「良いことだけでなく、悪いこと(またはグレーな手段)に手を染めてこそ一人前」と、悪事を肯定したりたたえたりする方向で拡大解釈されている印象だ。

 繰り返しになるが、政治の世界には出自による「格差」があることは事実だ。だが、非世襲というハンデを負いながら政治家になることを決めたのは、他でもないその人自身である。非世襲であることは、どんな手段を使っても許されるという「免罪符」にはならない。

 こうした政治家像を是とする風潮は、今の世の中には適合しない。閣僚の「辞任ドミノ」が続く今こそ、一人前になる上で「不正」や「グレーな手段」が本当に必要なのか、全ての政治家に自問自答してもらいたい。