「マネジャーを置け」

 かくしてグーグルでは、すばやく動く必要のあるプロダクト開発チームを、マネジャー抜きで運営するという実験が始まった。これはちょうどビル・キャンベルがグーグルで働きはじめたころのことだ。ラリーとセルゲイが、エリックと働くのにやっと慣れてきたと思ったら、今度はまた別の新入りが社内をうろつきだしたのだ。

 ビルはエリック、ラリー、セルゲイをはじめとする経営陣をゆっくり時間をかけて知るために、仕事が落ち着く夕方ごろにふらりとやってくることが多かった。彼らがいま何をしているのか、会社にどんなビジョンを持っているのかを尋ねてまわることによって、会社と文化を知ろうとした。

 そうしたやりとりのひとつで、ビルはラリーに言った。

「ここにはマネジャーを置かないとダメだ」

 ラリーは答えにつまった。ちょうどマネジャーを全廃したばかりで、彼は結構満足していたのだ。たった数百人の人員で、将来的に数十億ドルの収益が見込めるプロダクトを着々と世に送り出している会社に、なぜまたマネジャーを戻す必要があるんだ? マネジャーなしでうまくいっているじゃないか?

 2人はどちらも譲らず、しばらく堂々めぐりの議論を続けた。とうとうビルはラリーの流儀にならって、それならエンジニアに直接聞いてみればいいと言った。彼はラリーとセルゲイと廊下をぶらぶら歩いて、2人のソフトウェアエンジニアを見つけた。ビルはその1人に、マネジャーがほしいかと尋ねた。

 ええ、という返事だった。

 なぜだ?

「何かを学ばせてくれる人や、議論に決着をつけてくれる人が必要だから」

 その日彼らは数人のソフトウェアエンジニアと話したが、答えはほとんど同じだった。エンジニアは管理されたがっていた――何かを学ばせてくれ、意思決定の助けになるマネジャーになら。

 ビルは正しかった! とはいえ、創業者の2人を納得させるには時間がかかった。グーグルのエンジニアリング部門は1年以上「脱組織化」モードを続けてからようやく打ち切りを決め、2002年末ごろに人間のマネジャーを戻したのだった。

 じっさい、どちらの手法にもメリットがあることが、学術研究により示されている。1991年の研究によれば、企業はイノベーションの実装段階にあるとき(グーグルが検索エンジンやアドワーズを開発していたときなど)、資源を有効に配分し対立を解消するために、マネジャーを必要とする。他方2005年の研究によると、階層型の組織よりも、ブロードウェイに見られるようなネットワークを基盤とする環境のほうが、人材の創造性を高めるという。つまり創造性と業務効率は、つねに緊張関係にあるのだ。

(本原稿は、エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ、アラン・イーグル著『1兆ドルコーチ──シリコバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』〈櫻井祐子訳〉からの抜粋です)

エリック・シュミット(Eric Schmidt)
2001年から2011年まで、グーグル会長兼CEO。2011年から2015年まで、グーグル経営執行役会長。2015年から2018年まで、グーグルの持株会社アルファベット経営執行役会長。現在はグーグルとアルファベットのテクニカルアドバイザーを務めている。

ジョナサン・ローゼンバーグ(Jonathan Rosenberg)
2002年から2011年まで、グーグルの上級副社長としてプロダクトチームの責任者を務めた後、現在はアルファベットのマネジメントチームのアドバイザーを務めている。

アラン・イーグル(Alan Eagle)
2007年からグーグルでディレクターとしてエグゼクティブ・コミュニケーションの責任者、セールスプログラムの責任者を歴任している。

3人の著書に世界的ベストセラー『How Google Works 私たちの働き方とマネジメント』(日経ビジネス人文庫)がある。

櫻井祐子(さくらい・ゆうこ)
翻訳家
京都大学経済学部経済学科卒。大手都市銀行在籍中に、オックスフォード大学大学院で経営学修士号を取得。訳書に『第五の権力』『時間術大全』(ともにダイヤモンド社)、『NETFLIXの最強人事戦略』(光文社)、『OPTION B 逆境、レジリエンス、そして喜び』(日本経済新聞出版社)などがある。