部外者が見れば、こうしたしきたりは滑稽でしかないが、それが長年通用してきたのは、日本人の気質に合っている部分があるのかもしれない。古くは中国から伝来した儒教の教え。親や長老、身分が上の人には絶対服従という考え方で、それが日本の組織の秩序維持のスタンダードになった。そうした考え方は武家社会に導入され軍隊に受け継がれ、今は体育会系運動部に生き残っている。これは単に上級生と下級生の上下関係だけでなく、指導者やOBも含めた厳密なタテ社会が存在する。

 もちろんそこには良い面もある。礼儀正しい、しっかり挨拶ができる、下積みの苦境を耐える、命令に従う、文句を言わず雑用をこなすといったことで、それが結果的に全体の秩序を守ることにもなった。勝利のために一致団結するということにもつながり、運動部には好都合の価値観だったともいえる。

 体育会系は企業にとっても好ましい人材だ。会社の方針や上司の命令に従う人材ということであり、その性質は企業にとって好都合。体育会系で育った人材は就職に強いとされている。また、通常の人間関係でも「体育会系の○○部にいました」というと、それだけで評価されることがある。厳しい環境によく耐えてきた人というわけだ。

 だが、その一方で多くの弊害もある。しきたりの一気飲みを強要され急性アルコール中毒で部員が命を落とすケースもある。今、問題になっているような暴力支配に耐え切れず、精神的に追い詰められる者もいる。集団での暴走が犯罪的行為に発展することもある。競技力向上という目的のため、部員のベクトルを一致させるという効能がある反面、行き過ぎるとさまざまな問題が生じる体質でもあるわけだ。

体質温存の背景には
学校体育中心の選手養成が

「体育会系」という言葉が大学の運動部から出ているように、こうした体質が日本のスポーツ界に長く温存されてきたのは、選手の養成を学校体育に頼ってきたからだろう。指導者は通常、その学校の教師が務める。部活の指導をしたところでとくに手当が出ることもない。それでも指導に情熱を傾け、部を強くするのは、いわゆる熱血教師だ。そういう指導者の多くは自分も体罰ありの体育会系指導を受けている。それを踏襲しているだけなのだ。