米国ではゴルフ会員権ビジネスは通じない

 だが、米国ではそんな会員権ビジネスは通じない。むろん米国にもゴルフ場のメンバー制度はあり、会員になること自体を名誉の証ととらえてその資格を与える。有名コースのメンバーたちは10万円程度の年会費を負担する。だが、プレー権の売買はもとより、預託金制度の発想そのものがない。会員権という金券の売り買いなどしないのである。したがって会員権販売による開発資金の調達は望めない。

 それでも森下は3億円で買えるなら安い、と判断したようだ。森下にとってこの頃の3億円の投資は、迷うほどの金額ではなかったのであろう。すぐに本人が現地に入り、地主である米国のデベロッパー相手にゴルフ場用地の買い取りを即決した。

 ところが、米国のデベロッパーが森下にゴルフ場開発を売り込んだ背景には、別の魂胆があったのである。ゴルフ場をアイチに経営してもらえば、デベロッパー側は先住民族区域の土地使用に関するその後の交渉の矢面(やおもて)に立たなくていい。

 彼らはゴルフ場の周囲にコンドミニアムを建設した。つまりゴルフ場開発計画の本当の目的は、面倒なところを日本人に任せ、コンドミニアムに付加価値をつけて高い値段で分譲することにあったのである。森下が悔やんだ。

「われわれは地主の計画にまんまと乗せられただけでした。ゴルフ場はおまけみたいなもので、高級コンドミニアムの宣伝材料にすぎなかったのです。だから儲かるわけがない」

 米国のゴルフ場はうま味がなかった。これでダメになればモーリー・カリフォルニアではなく、「Sorry California」に社名変更しよう、と常務の佐藤や通訳として同行した秘書室長の郡清隆たちと笑い合ったという。

 だが、森下はそれであきらめるようなタイプではない。メスキートでゴルフ場開発のやり方を学んだあと、アリゾナ州ツーソンにももう一つゴルフ場をつくろうとした。

 米海軍の巡洋艦「ツーソン」が停泊し、近年では韓国系の現代自動車などが進出しているエリアだ。ここもまた、もともとヒスパニック系米国人が先住民区域を開発したところであり、同じように経営には苦戦した。「いい授業料になった」という負け惜しみに聞こえる本人の言葉は案外本音だったかもしれない。

 ただし、米国におけるゴルフ場経営がまったく無駄だったか、といえば決してそうではない。日本の金満金融業者が米経済を侵食し始めた、と米国内で評判になった。森下はゴルフ場のオーナーになったおかげで、米国進出の足掛かりを築けた。そうして米国で二つのゴルフ場開発を手掛けた森下は、やがてニューヨークに進出する。マンハッタンのビジネス街で知り合った相手が、ドナルド・トランプだった。