ルノーの新事業形態への移行は、野心的なものであると同時に欧州でのルノーの立場がかなり厳しいものとなっていることの裏返しでもある。

 フランスでのライバル、グループPSAはフィアット・クライスラー・オートモービルズとの統合で14ブランドを抱える「ステランティス」に生まれ変わった。仏政府がバックにあるルノーだが、かつてのゴーン後継と目されていたカルロス・タバレス氏がプジョーを擁する旧PSAに移り、今やグローバルメーカーとなったステランティスのトップに君臨してルノーを大きく引き離している。また、欧州ではフォルクスワーゲン・メルセデスベンツ・BMWのジャーマンスリーがEV化を積極的に進めるほか、中国・吉利汽車傘下のスウェーデン・ボルボのEV戦略も先行しており、ルノーにとって厳しい戦いが続く。

 その意味では、ルノーは日産からの配当といった「上納金」が業績面で大きく寄与してきたが、ここ数年日産の業績悪化と無配転落により当てが外れ、さらに自社のロシア事業撤退による事業環境の変化で構造変革が急務となってきたのだ。

 この日仏自動車連合は、そもそも90年代に日産が経営危機に陥った際に、ルノーが救済する形で資本提携して以来続いてきたものだ。

 筆者は、1999年3月27日の東京・大手町の経団連会館での日産・ルノー資本提携発表会見に臨んだ。これは同年7月にダイヤモンド社から上梓した筆者の『トヨタの野望、日産の決断』の中で「日産がルノーを選んだ日」として、当時の塙義一日産社長とシュバイツァー・ルノー会長による会見内容を詳細に記述している。