女性コンサートマスターの誕生

 ちなみに、初のウィーン・フィル女性奏者となったのはハープ奏者のアンナ・レルケスである。ハープ奏者は伝統的に女性奏者の数が圧倒的に多く、オペラで必要なハープ演奏も女性が多く務めていた。

 ウィーン国立歌劇場でもそれは同じで、レルケスも国立歌劇場の奏者の一人だった。またシンフォニーの演奏にも必要な場面が多く、レルケスは26年間もの間、正会員の資格が得られないまま、彼らがハープを必要とするときにだけ演奏に参加し続けてきた。

 ウィーン・フィルがようやく彼女を正会員と認めたのは、彼女のキャリアの終盤になった1997年のことである。当時は本拠地である楽友協会の控室に女性専用の部屋がなく、着替えにさえ苦労したという。舞台衣装の支給がなかったことなど現実的な問題もあった。

 2011年にはブルガリア出身のアルベナ・ダナイローヴァが、ウィーン・フィルとして初の女性コンサートマスターとなっている。ダナイローヴァは1976年に生まれ、ドイツ・ハンブルク音楽大学などに通う。母国やドイツのオーケストラに所属したのち、ウィーン国立歌劇場、ウィーン・フィルの奏者となった。

「ドイツ首相も女性だし、今や性別や肌の色で区別する時代ではない」と彼女が日本のメディアに語ったように、ダナイローヴァは「ミストレス(女性のコンサートマスター)と表現してほしくない」と言う。

 しかしウィーン・フィルの他の正会員の意識は、それほど革新的ではなかったようだ。

 ダナイローヴァの国立歌劇場入団とコンサートマスター就任を振り返って、当時の楽団長ヘルスベルクは「簡単なことではなかった」と語っている。先述のように、オーディションに合格したのち本採用になるかどうかは、試用期間中の活躍と他の奏者からの評価にかかっている。ダナイローヴァがもしも本採用にならなかったら、その理由を対外的に説明しなければならない。

 実力の判断以外の思惑、つまり「女性がそのポジションに就くことを良しとしない古い意識しか持ち合わせない」という風評が広まれば、国立歌劇場やウィーン・フィル自体の信用に関わるだろう。

 そう判断したヘルスベルクは、自らダナイローヴァのメンターを買って出たという。ダナイローヴァが良い楽器を使えるよう手配し(国立歌劇場もウィーン・フィルも、それぞれが所有している楽器を奏者に貸し出すシステムをとっている)、オペラのソロという大役を任せた。

 実力が十分発揮される機会があれば、他の団員は彼女の演奏の力量を公平に判断するはずだと、ダナイローヴァと他の奏者の双方を信用する姿勢をとったのである。