「最後の1年、何かできることはないのか?」
浅木は、思いを八郷にぶつけた。
「新骨格を出さないまま終われません」
八郷は、躊躇することなく浅木の思いに応えた。
「わかった。いくら必要か言え」
浅木は、あまり法外な予算をふっかけて新骨格の投入がつぶれても困るからと、常識的な金額を伝えて承認された。
それを聞いたレース現場の統括を担う田辺は、浅木にこう言った。
「最終年に懸ける情熱、それとホンダF1の意地として、やり切る。そこを信じていきましょう」
田辺も、浅木と同じ気持ちだったのか。
「最終年をいかに悔いなく戦い切るか。明らかにわれわれのパワーユニットがメルセデスのレベルに及んでいないのはデータ上でも見えていますし、マシンのトータルパッケージとしてのパフォーマンスも及んでいない。そうだとしたら、2021年シーズンにメルセデスと同等、もしくはその上をいくためには、新骨格のパワーユニットでマシンのトータルパフォーマンスを上げるのは非常に重要なことです。そういう準備をしたうえで最終年の2021年に臨む。それがわれわれの決意になります」
パワーユニットの全面改定を行う新骨格。そもそもは、2021年シーズンに投入する予定で開発が進んでいた。ところが、二つの要因が重なったせいで、2022年シーズンからの投入に変更されていた。
ひとつは、新型コロナの影響により本社から予算の見直しを迫られた点だ。
「新骨格の投入を1年先送りにするように」
そのとき浅木は、この指示を受け入れた。
「開発を1年先延ばしにしたのは、開発費を抑えてF1を継続させるためです。会社の経営が厳しいなか、収益を生まないF1に高額な開発費をかけるのは許されないという判断は正しかったと思います」
もうひとつの要因も新型コロナによるものだった。FIAによる大幅な車体のレギュレーション変更が2021年シーズンから2022年シーズンに先送りされることになったのだ。2022年シーズンの車体の設計変更に合わせるかたちで新骨格を投入すれば、ホンダもレッドブルも負担は少ない。2021年は、2020年の骨格を進化させるかたちでパワーアップさせて臨むことになっていた。
「でも、撤退が決まったからには話が違います。終わるにしても、成し遂げたいことがある。それだけはトライさせてほしかったのです」