美術史、文化史を芸術家の尖鋭な立場で書き直す。これは近世以来見失ってしまった日本文化のプライドを、ポーズでなく実質的に打ちたてることであり、まさに緊急の課題である。

 こういう不逞な情熱で、まったく傍若無人に再評価し、拙著『日本の伝統』を書いた。さぞかし伝統主義者側から反論ごうごうとまき起こるか、とたのしみにしていたのだが、いざ発表してみると、情けない。「いや、じつは私も、前からそう思っていた」などと、口を揃えて、ケロリとして讃辞を呈するのだ。

 右に行っても左に行っても、ヌラリクラリとあざやかな身のさばき。われながら大ナギナタを空振りしたような具合だが、いつでも、相手はカッチリぶつかることがない。文化人たちのしょうのなさである。

西欧化に応じて急ごしらえされた
「伝統」なんかウソだ

 そこで気がついた。日本にはじつは伝統観というものは無いのではないか。

「伝統」「伝統」と鬼の首でも取ったような気になっているこの言葉自体、トラディションの翻訳として明治後半につくられた新造語にすぎない。「伝統」という字はあるにはあったらしいが、今日のような意味は持っていなかったのである。

 しかも伝統主義者たちは権威的にいろいろ挙げているが、しかしそれらが新しい日本の血肉に決定的な爪あとを立ててはいない。

 いわゆる伝統とされているものの内容も様式も、大層にかつぎあげればあげるほど、かえって新鮮さを失い、時代と無縁になっていく。

 伝統という観念が明治時代に形づくられたように、中身も明治官僚によって急ごしらえされた。圧倒的な西欧化に対抗するものとして、またその近代的体系に対応して。

 たとえば西洋には美術史がある、こっちにもなくちゃ、というわけで、向こうの形をしき写して、それらしきものをつくりあげた。アプリケーションにすぎない。

 廃仏棄釈の明治初期にほとんどすて去られて顧みられなかったお寺や仏像などが、西欧文化史のギリシャ・ローマの彫刻にあたる、というわけで、とつぜん日本芸術の根源みたいにまつりあげられた。それなら桃山期はさしずめルネッサンスだ。

……ひどく便宜的で、そこに一貫した世界観、芸術観がつらぬかれているわけではない。ただ当てはめて、並べた、よく考えてみれば、まったく三題噺みたいなものだ。

 あわてて形式だけをペダンティックにつなぎ合わしたものでも、しかし文部省が公認して権威になると、教材として無批判に、有無をいわさず国民に押しつけてしまう。なんのことだかよくわからないけれど、結構なものだ、そう決まってるんだから、と。

……まことに味気ない。だがこの国では、学者、芸術家、文化人、すべてが官僚的雰囲気のなかで安住しているので、いっぺん決まってしまったことはまた、どうにもならないのである。