「ソニースピリット」とは何か

 ソニーについて書かれた本を読むと、井深さんの「設立趣意書」と並んで必ず出てくるのが「ソニースピリット」というフレーズだ。しかし私がソニーにいた頃は、「ソニースピリットとは何か?」と問われて、ちゃんと答えられる人はほとんどいなかった。井深さんも盛田さんも、社是社訓と同じく、ソニースピリットについて語ろうとしなかったからだ。

 言葉で説明しはじめると、むしろ自由闊達が損なわれ、ソニーらしくないと考えたのだろう。「みなが楽しく働いて、おもしろい製品ができあがって、お客さんに喜んでもらえたらいいじゃないか」というシンプルな気持ちが根底にあったと思う。

 ただ、他社の真似をしないこと、失敗を恐れずに挑戦すること、過去にとらわれないことは「ソニーらしい」と評価された。私がいた頃のソニーは、お互いにけなし合うことはあっても、褒め合うことはなかった。だから「ソニーらしい」は最高の褒め言葉だったのかもしれない。

 井深さんと盛田さんは、他社と同じ戦略では成功できないと考えていたのだろう。

 戦前、日本のほとんどの工業製品は粗悪品扱い。メイド・イン・ジャパンといえば「安かろう、悪かろう」の代名詞だった。そうした環境で、日本の悪しき伝統を壊す──それこそがソニーの出発点であり、自由闊達、個人尊重、未来思考は大きな武器になった。

日本の悪しき習慣を取り払った先の「信頼」

 また、ソニーでは、私が入社した1950年代から、お互いに「さん付け」で呼び合っていた。「井深社長」と呼びかけることはなく、新入社員でも「井深さん」だった。役職で呼び合うのは上下関係を意識させるからだ。

 これには、井深さんが序列や上下関係を嫌ったことが関係しているように思う。

 もちろん、場面によってはちゃんと役職を付けて呼ぶこともあったが、基本はいつも「さん付け」だった。

 実は「くん付け」もよく用いられた。

 ソニーに入った頃、私は盛田さんから「郡山さん」と呼ばれていた。ところが、ソニー・アメリカで一緒に働くようになる頃は「郡山くん」になっていた。親密度が増し、信頼されてくると「くん付け」になるのだ。私は大賀さんからも「郡山くん」と呼ばれるようになった。