2022年6月2日、ソニー元会長兼グループCEOの出井伸之氏が死去した。享年84歳。1995年の社長就任後、「リ・ジェネレーション(第2創業)」のスローガンを掲げてインターネット時代の新生ソニーを率いた。メディアにもたびたび登場し、ビジネスパーソンに向けて数々の金言を贈った。ダイヤモンド編集部に残る記事の一部を再掲する。

ソニー出井会長とドラッカー教授が語り合った「勝ち残る経営者の条件」(上)

P・F・ドラッカークレアモント大学大学院教授、出井伸之・ソニー会長兼CEO

 出井伸之氏は1960年早稲田大学卒業後、ソニー入社。主に欧州での海外事業に従事した後、オーディオ事業部長、コンピュータ事業部長、ホームビデオ事業部長などを歴任。95年に社長就任後、「デジタル・ドリーム・キッズ」「リ・ジェネレーション(第2創業)」のスローガンを掲げてインターネット時代の新生ソニーを率いた。

 出井氏の社長就任時、ソニーの株価は約4200円だったが、会長兼グループCEO に就任した2000年には1万6590円という史上最高値(2000年3月実施の株式分割を考慮)を付けた。まさに時代の寵児だった。

 メディアにもたびたび登場し、ビジネスマンに向けて数々の金言を贈った。週刊ダイヤモンド誌上では2001年、経営学者のP・F・ドラッカー教授(1909年11月19日~2005年11月11日)と対談。米カリフォルニア州に住むドラッカー教授を出井氏が訪ね、3時間に及んで「勝ち残る経営者の条件」について語り合った。出井氏がドラッカー教授に教えを請うというよりも、積極的に経営者論を開陳する内容になっているのが興味深い。

 2006年にソニー退任後、クオンタムリープを設立。大企業の変革支援やベンチャー企業の育成支援などを行ってきた。世界を舞台に活躍する経営者として、グローバル化の波にさらされる日本のビジネスマンに向けたアドバイスでも定評があった。

元ソニーCEO・出井伸之氏が「40代で2回目の左遷」を乗り越えられた理由

出井伸之氏

 22年3月末には自身初のキャリア指南書である『人生の経営』(小学館新書)を刊行。ダイヤモンド編集部では本書の一部を抜粋・再編集し、全5本の記事を連載した。

 中でも反響が大きかったのは、1本目に出した『元ソニーCEO・出井伸之氏が「40代で2回目の左遷」を乗り越えられた理由』という記事だ。

 ソニーの頂点に上り詰めた出井氏だが、2回の左遷を経験した。特に2回目の左遷は強烈だったという。40代半ばに肩書を全て取られてしまい、まったく仕事も与えられず、机を一つ与えられただけという苦難を味わった。まさに現代の「追い出し部屋」に左遷されてしまったのだ。

「こんな僕でも本当に辛かった」と明かした出井氏が、その激烈な左遷を乗り越えられた理由を知れば、多くのビジネスパーソンが励まされることだろう。

出井伸之氏×森川亮氏 特別対談(上)「やりたい事」を仕事にするリポジショニング戦略

【追悼】ソニー元CEO・出井伸之氏がドラッカー教授と語り合った「勝ち残る経営者の条件」出井伸之氏(右)と森川亮氏。出井氏の打ち出した戦略に共感した森川氏は、ソニーで3年間勤めた経験がある。

 出井氏は、LINEの元社長である森川亮氏とも対談していた。出井氏が会長兼CEOだった頃のソニーで森川氏が働いていたという、縁のある二人。対談の前編では「ビジネスマンとしての人生戦略」について、後編では「どうしたら日本企業は変われるのか」について議論を交わした。

日本人は、実は日本のことを知らない【出井伸之×福原正大】(対談前編)

【追悼】ソニー元CEO・出井伸之氏がドラッカー教授と語り合った「勝ち残る経営者の条件」

 出井氏が残した金言は、「教育」に関するものもある。Institution for a Global Societyの福原正大社長との対談では、海外と比較して日本の教育が遅れている点についての問題提起した。「鎖国は日本にとってどんな意味を持つのか、自分の意見を語れるか」「二つの世界大戦について自分なりの解釈をビジネスの現場で答えられるか」といった出井氏の言葉は、今の私たちにも鋭く突き刺さる。