“密室”は現代では“全世界”
SNSへの甘い認識が招く悲劇

 大人たちと子ども・若者たちの炎上を比べてみると気づくことがある。大人の炎上は大体失言や常識の欠如、不道徳な行いなどであるのに対して、若者の炎上は“悪ノリ”によって起こされる。その場の勢いに身を任せて悪ノリさえしなければ炎上はなかっただろう、という動画がほとんどである。
 
 たしかに若い頃は際どい冗談や、もはや一線を越えた冗談が面白いこともあった。しかしそれはかつて、密室だからこそ許された(正確には「誰の目にも止まらずにいることができた」)のである。
 
 現代では、それがSNS上ならドアを一枚隔てた向こうはすぐさま“全世界”である。仲間内でやっているといかにも密室風に感じられることはあろうが、ドアを開けさえすれば即、全世界とつながることができる極めてオープンな場である。

 炎上投稿には、「フォロワーを稼ぐために最初から炎上目的」のものと「内輪ウケを狙って投稿したら、世界の目に留まってバズっちゃった」ものの2種類がある。このうち後者は、若者が骨の髄まで「SNSは密室でない」と理解することができれば減るはずである。
 
 なお、ここまでは若者、および教育を施す側の大人たちから論じたが、「炎上動画を取り上げる」側に関する議論も始まった。炎上した人間が社会的に再起不能なくらい追い詰められるので、「やり過ぎなのではないか」「やり過ぎのきっかけを作りすぎではないか」という声が出てきたのである。そうした、炎上動画を最初に世に紹介する暴露系・告発系インフルエンサーを「法で裁けない悪人を裁く正義の執行人」と捉えるか、「指先で他人の人生を破壊できる危険な力の持ち主」と捉えるかは、今後の議論の進展次第であろう。
 
 しかし、その議論の行方にかかわらず、その議論を通して「炎上」に関して世の考えがこれから深まっていくであろうことは間違いない。若者は自分の人生を破壊するような炎上投稿をしないように自らが強く心がけるべきであるし、大人はその姿勢をサポートしていくべきである。